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長編小説 霧のなかの巨塔  第16回

第一章 奈落

■道標②

楢本代議士が主治医から直腸の異常を告げられた頃、日本の政界は大揺れに揺れていた。2年前、現政権である民主進歩党の総裁選挙にからみ、候補となっていた当時の運輸大臣だった室山剛三に、運送業界の最大手である大日本運送から30億円という巨額な資金が裏金から渡されていたという、贈収賄事件が発覚していた。

年明け早々にある新聞社への匿名電話から露見し、社の運命をかけた内偵の結果間違いないという確証をえて報道されるに至ったのである。

この事件がきっかけとなり、民主進歩党の前総裁、五百蔵源馬の暴力団幹部との不明朗な交際、副総裁、大河内文吉の所得隠しが暴露したうえ現幹事長の愛人手切れ金騒動までが、特ダネとしてテレビのワイド番組を賑わすことになり、日本の政界スキャンダルは日本だけではなく、世界からなりゆきや政府の対処策が注目されていた。この一連のスキャンダルが暴露するきっかけをつくった室山剛三は、政府内最大派閥である五百蔵派の実力者で、これまで外務省、大蔵省などの大臣を歴任している政界の大ボスで、歴代の首相も室山には一目をおかねばならず、「影の総裁」ともいわれていた。

東京高検特捜部が捜査に着手してはいたが、その前に既に証拠隠滅を図っていた当事者たちの巧妙な手口によって、関係者の逮捕が可能な物的証拠をつかむことができず、捜査は行き詰っていた。室山剛三がいまもって政務にたずさわっていることに対し、閣議決定として首相の佐々木敏弘が大臣の辞職を勧告したが、室山は断固として強気の姿勢を押し通し、“誰がなんといおうとワシにはやましいことはまったくない。このわたしに辞職勧告とは、何の証拠をもって勧告するのだ”と佐々木首相に詰め寄ったという。二ヶ月ほど前のことである。

ところが五日前、特捜部が大日本運輸から押収した膨大な資料物件のなかから、会社が破棄し漏れた収入印紙の貼付もない市販の領収書に室山が金額を自筆、サインをしさらに拇印までを押捺した領収金額壱拾億円という領収書が発見されたのである。特捜部は国会の開会中ではあったが直ちに室山の任意出頭を要求した。拇印の指紋が室山のものと一致したことにより、印紙税法違反、受託収賄罪容疑の確証を得て、東京高検は衆議院議長に対して逮捕許諾請求の手続きを即日行い、当日午後の本会議で全会一致で逮捕許諾が成立、直ちに室山は逮捕され東京拘置所に移送された。つい先だっての六月二十一日のことである。

室山剛三運輸大臣の逮捕というニュースに、室山の地元広島市の後援会は直ちに議員辞職要求の決議が成立し後援会の解散も決定した。

 

それから一ヶ月余りが経過したが未だ室山から議員辞職願いは提出されていない。国会の審議は室山の除名処分を躊躇する佐々木首相に対する野党の追及と審議拒否によってずっと空転状態が続いていた。この前代未聞といえるお粗末な国会の状況に業をにやした副総裁の倉田達也が切り札をきった。室山を罷免し、職権をもって議員資格を剥奪した。さらに民主進歩党からの除名を図り、後任に現代の“大久保彦左衛門”といわれていたご意見番、楢本大二郎を運輸大臣に任命することにした。また佐々木首相は任命責任をとって首相を辞任、当分は副総裁の倉田が首相代行となることが閣議決定した。

楢本大二郎は秋田県一区から選出されている当選九回、七十八才の衆議院でも重鎮としての存在が認められていた。相手が自党の議員、他党の議員をとわず、道理に合わないと考えたことについては徹底的に追及する「平成のご意見番」として知られていた。

この保守政権党らしからぬ気質から、党内では煙たがられ、それが支障となってこれまで一度も閣僚入りをしたことはない。副総裁の倉田の提案は、閣議前の根まわしが功を奏し、首相の辞任も含めて閣議では全員の賛成により採択された。

楢本の清廉潔白性は誰もが認めることであり、汚職事件に揺れる国会、そしてその震源となった運輸大臣の後任には最適の人物だった。かれが運輸大臣に就任することで烈風の如く、与党、民主進歩党に吹き荒れる非難の嵐を和らげうることは確かといえる。それほど楢本の人格は社会に広く認められていたのである。そんなとき、彼の直腸に一センチ大のポリープが二個発見されたのである。以前から定期的に前立腺肥大症の検診を受けていたのだが、それには異常なかったものの、指の触診で直腸のポリープがみつかったのである。生検の結果、懸念された悪性のものではないことが判明したが、主治医は悪性への変化防止のため早期の摘出手術を勧めた。

しかし楢本はすぐに医師の進言を受け入れる気にはなれなかった。一昨年のことだったが、彼の従弟が食道ポリープの手術後、退院することなくそれから五ヶ月後に死亡したのである。

手術前には健康そのものだった従弟が職場の検診、入院、手術を契機として急速に体が体力を失っていったことが、どうしても理解できなかった。手術の執刀をした医師は「摘出はうまくいったのだが、患部のクビレがひどくて……」と家族に説明していたというが、それから二度も同じ箇所への再手術が施された。だが体力は衰退するばかりで、入院から三ヶ月後には肝臓と脾臓の腫張が進行、多量の腹水もみられるようになり仰向けに寝ることができなくなってしまう。

腹部の腫れはひどくあたかも臨月の妊婦のようになっていた様子が今も楢本には忘れられない。

それから二ヶ月後、高熱と呼吸困難に苦しみながら従弟は五十二才という若さで死亡した。死因は肝膿瘍と敗血症という診断…… 入院したときの病名とはまったく異なる病名で死んだのである。浮腫で丸太のように腫れあがった従弟の足が楢本の目に焼きついていた。

こんなことから現代の医療というものに強い不信をもちながらも、いままで検査だけなら、という考えで前立腺の検診だけは惰性で定期的に受けてきたのだが、その結果は予想外のことだった。直腸にガン転化が懸念されるポリープがあったとは…… 楢本は手術をすることなく自分のポリープを取り去る方法がないものかと考えあぐねていたとき、自分の後援母体である東洋自動車で窓口となってくれている常務取締役の山本のことが頭に浮かんだ。以前、話のなかで名古屋の医学者、川上武春が指導しているガンなどの炎症性疾患に大きな効果を示す「断食療法」というものがあると山本がいっていたことを思い出した。

……川上先生を紹介してもらおう。山本常務ならこの話が外部に漏れる心配はない…… 楢本はそう決心した。良性のものだとはいえ、自分の体内に腫瘍まがいのものができているなどということはたとえ秘書にでもいえることではない。病気と名がつくものは政治家にとって命とりにもなりかねない。マスコミに嗅ぎつけられたら、真実を伝えられることはなく、大衆が興味を抱くように脚色されたスキャンダルにされることは明らかに思えた。そういうことは楢本がこれまでにイヤというほど見せつけられてきた事実である。三日前の夜、楢本は独りで山本の自宅を訪ね事情を話し、川上への接触を依頼した。奇遇にも二日後、東京で川上の講座があり、山本の親友である著名な医師の二人もその講座に参加するという。楢本は心から幸運を感謝した。その講座には参加できないものの、熱海での席に是非という楢本の願いが今日の席になったのである。

多忙を極める川上がその講座終了後から翌日までフリーであったことも幸いだった。その日わかったことだが、楢本は気づかなかったことだが、かなり進行した高血圧症にあり直腸のポリープなどよりもっと危険、いつ脳出血が起きても不思議でない状態になっていたのである。

 

大きなテーブル上に出された豪勢な料理の数々を前にして楢本は山本と彼の親友である畑中や浅川と歓談しながら川上の到着を待っている。

ほとんど待つ間もなく女将に案内されて川上が部屋に入ってきた。

「川上です、遅くなりまして。楢本先生といわれる著名な方にお目にかかることができて、この上ない光栄に存じます。また、畑中先生、浅川先生、若輩ものでございますが、どうぞよろしくお願いいたします」部屋の入口に座り、川上は丁寧に頭を下げる。

「やあ、先生。お忙しいところをお呼びだてしてしまって……」楢本の声は割れ大鼓のようだ。

「……まあ、まあ、どうぞこっちに……さあ、さあ……」自分の向かい側の席に誘う。

「やあ、まずは改めて。民主進歩党の楢本大二郎といいます。きょうは先生がたにプライベートなことをご相談したいと思いましてな。川上先生、どうぞよろしく頼みます」

今までのあぐらから正座に座り直して楢本は川上に名刺をわたす。それを両手で受け取る川上。

「ありがとうございます。革新医学推進センターの川上武春と申します。先生のご高名はかねがね、テレビや新聞で……」そういいながら川上は両手で自分の名刺を楢本にさしだす。

「畑中先生、浅川先生、どうぞよろしくお願いいたします」二人の医師にも名刺を手渡した。

「まあ、まあ、かた苦しい挨拶はやめにして、ラクにいきましょうや。わたし、代議士はしておりますが、こと病気のこととなりますと、赤ん坊と同じなんですわ。ただ、医者のいう通りにしてきただけ。だけど、いう通りにできないこともありましてな。そういうことで、先生がたにオフレコでプライベートのご相談をしたくて……」楢本は黒ぶちのメガネを外しながら、もちまえの蛮声といえるような声でいう。色黒の顔なのに妙に赤みを帯びている。

「……先生がたはビールですか? それとも清酒を……? どうぞやって下さいよ。ワシはビールをもらいますわ」そばにいた女将が楢本のグラスにビールをそそぐ。

「先生は何になさいますか?」ビール瓶をもち女将が川上に問いかけた。

「いや、わたしはあとで頂きます……畑中先生、浅川先生は何に……」畑中と浅川を見ながら川上が気をきかせる。

「……しかし、川上先生、わたしは今度のことがあるまで、自分の体にはある程度の自信はもっておったつもりでしたが、いま、何か全身の力が抜けてしまったような気がしとります……」

楢本は本当に気落ちしているらしく、しみじみという。声も気のせいか小さいようだ。

「楢本先生、何をそんなに心細いことをいっておられるんですか。先生らしくないですよ……や、すみません……」女将が差し出すビールをグラスに受けながら川上は話をつづけた。

「山本常務からお聞きしたところでは先生ご自身がポリープとか……」

「はい、直腸に一センチほどのが二つあるとか医者がいいましてね。すぐ手術して除去したほうがいいとその医者はいうんですが、どうしても手術をするという決断がつきませんでね……」

グラスに残るビールの泡を見つめながら云う楢本。先ほどのような気迫が感じられない。

「その程度のポリープなら、すぐ手術とういうような緊急性はないように思えるのですが、外科にもお詳しい浅川先生、如何なものでしょうか……」

川上は浅川のほうに視線を移しながら尋ねた。

「いや、まったく、川上先生がおっしゃるとおり。排便時の痛みや出血などないんでしょう?」

浅川がビールのグラスをテーブルに置きながらいう。

「はい、出血も痛みもありません。ただ二年前に少し尿の出が悪いことがありましてな。そのとき初期の前立腺肥大といわれまして、その後症状もなくなりましたが、半年に一回の検診を勧められていわれるようにしてきたんですが、この前の肛門からの触診と内視鏡検査で見つかったんですわ。こんなときで、運がよかったのか、悪かったのか……」

「偶然にみつかったわけですな。出血や痛みがなければ手術の必要はまったくありません。ただこれからのことを考えると便による物理的刺激で大きくなる可能性は否定できません。良性、悪性の関係なしにね。楢本先生、一ヶ月、政務からお離れになることはできませんか、今すぐでなくてもいいのですが、一、二ヶ月のうちに……」

「直ぐにというのは無理ですが、七月二十日に通常国会が終わります。それからなら十分に時間をとることができます。そのときは先生の病院に?」楢本はネクタイを緩めながらいう。

「ええ、そうです。わたしの病院には東洋医学科があってそのなかに断食コースがあります。こういったポリープ治療には断食療法が最適で、特効ともいえます。国会が終わったらぜひおいでください。一ヶ月の断食コースでまず消滅すると思いますよ」

楢本を見ながら説明する浅川の顔は自信に満ちていた。

「ぜひ、お願いします。ただ心配なんですが、一ヶ月の断食というと、一ヶ月のあいだ、何も食べられないということでしょうな……」

……楢本大先生、断食療法というものにだいぶビビっているな……

浅川も畑中もそんな楢本がもつ不安は当然のことと思った。

「いや、いや、楢本先生。一ヶ月の初日から断食をしていては大変な苦しみを味わうことになってしまいますよ。一ヶ月、いわゆる先生にお勧めする30日コースでしたら最初の十日間は除々に食事量を減らしていく減食期間、次の十日間が本断食で、お茶以外は何も食べません。そして次の十日間が復食期間といって、少しずつ普通の食事量に戻していき、退院となるわけです。過程は少しずつ体を慣らしていく準備期間がありますから、先生、ご心配はいりませんよ」

説明を終えると浅川はグラスに残るビールを旨そうに飲みほした。

「安心しました先生、いや、一ヶ月の間、何もたべてはいけないということになると、ちょっと我慢できなくなるような気がしましてね……」そういうと、今までの心配が一気に吹き飛んだように割れ鐘のような笑い声を出す。正面に座る浅川や川上は耳の痛みを感じたに違いない。

「こういっちゃ、浅川先生はじめ、諸先生はお笑いになるかと思うんですが、わたしはいたって大食漢でしてね、いつも腹いっぱいに喰わんと気がすまんのですわ。でも十日ほどだったら何とか頑張れそうです。定例国会が終了したらすぐお世話になります。よろしくお頼みします。

いやぁ、ほんとに、ありがとうございました。いっぺんに胸のつかえが取れました。ま、先生がた粗末な料理ですが、どうぞ召し上がってくださいよ、グワッ、ハッハ……」

楢本は安心したせいだろう、またまた大音声の笑い声を出す。部屋のなかのものは耳の奥に痛みを感じた。まったく人間ばなれした割れ声である。

「しばらく使用していない特別室をきれいに掃除してお待ちしています。念のために申し上げておきますが、部屋は特別室ですが、もちろん先生のお名前は職員たちにも匿名にして、ご身分は責任をもって秘密にします。ただ毎日の生活過程にある室内の清掃、食事や様々な軽い作業は一般の人たちと一緒にやっていただきますよ。この作業は空腹感をまぎらすことと、減食、断食効果をより高めることなんです……」説明する浅川をうなづきながら聞く楢本である。

「もちろん、先生のご指示どおりにします。くれぐれもよろしくお頼みします」そういうと楢本はグラスのビールを一気に飲みほした。その色黒の顔の赤みが強く感じられた。

「楢本先生、ちょっとお尋ねするんですが、先生の血圧はどんな具合なんですか?」さきほどから一心に料理へ箸を運んでいた畑中が楢本に問いかけた。

「やあ、先生に気づかれてしまったようですな。さすが、畑中先生…正直いいますと、いきつけの医師から高血圧の注意を受けて薬も処方されて、ちゃんと飲んでいます。今のところ、おかげさまで、これといった自覚症状はないのですが……」女将から飲み干したビールをまたグラスに注いでもらいながら楢本が答える。そんな楢本の顔色を見ながら川上は、このままだと、直腸ポリープなどより、楢本は脳出血の発作を起こす危険性のほうが格段と高いように思えた。

「やはりそうでしたか。先生のお顔にあらわれている赤みは、かなり動脈硬化が進行したという赤信号ですよ。ご心配になっておられた直腸ポリープなどとは比較にならない危険度……上は二百近くまでいっているんじゃないですか?」

「はい、最近はちょっと計っていませんが、ひと月ほど前では上が百九十、下が百四十ほどだったと思います」畑中に答える楢本の顔からは今までのような笑みが消えていた。

「処方されている薬は血圧降下剤と利尿剤が主体になっているとおもいますが、いまその薬を服用しておられても、その数値ではかなり危険な状態になっていると思いますよ。いつ脳出血の発作が起きても不思議じゃありません。ほんとに、気をつけていただかないと……」

 

喘息と循環器系の権威とされる畑中から、予想もしていなかった自分の脳出血への高い危険性を指摘され、楢本は顔から血が引いていくのを感じた。いいようのないショックだった。医師から処方される薬を真面目に飲んでいれば自覚症状もない今だから、時の経過とともに治っていくものと思い込んでいた。三年以上も医師にいわれるまま処方される薬を毎日飲み続けていた。

畑中から血圧降下剤の長期服用は軽快に向かうどころか、異常な血圧降下による脳内酸欠による脳障害や最終的には副作用から肝機能障害を起こし肝硬変に至る可能性が高いと聞かされ、楢本はまったく医学のことに無知であったことが腹立たしくなる。いままで、何度も薬の服用後に目眩を起こしたことが思い出される。それが血圧降下剤の一過性といえども副作用の一つである血圧異常低下の典型的な症状であり、高血圧の原因となっている動脈硬化症に働きかける薬剤ではないため、脳卒中防止の効果はないことを知った。脳卒中直前という爆弾を自分が抱えていることに楢本は鳥肌だつような恐怖感でおののいていた。

 

……運輸大臣就任を目前にしてなんということなんだ!

わたしのこれまでの政治生命がむなしくなってしまうところだった。だが、命の恩人ともなる畑中先生、浅川先生、また川上先生と、奇跡ともいえるような出会いをすることができた……

これはまず山本常務のおかげだ。山本さんとの出会いがなければ、畑中先生たちとの出会いもなかったはず……神がかりともいえる幸運を心から感謝していた。もしこの出会いがなかったなら、近いうちに、たとえば明日にも脳卒中で倒れていたかも知れないのである。

爆弾を抱えているような自分の状態を知らされてときから楢本は一切、酒に手をつけることはなかった。畑中や浅川から直ちに禁酒と菜食主義、そして減食を指示されたからである。

楢本は若いときからどれだけ酒を呑んでも酒に負けることはなかった。酒どころの秋田生まれに秋田育ちだから、酒につよくなったのは当然のなりゆきかもしれない。いまは自分の八十三才という年のことを考え自分なりにセーブしていたつもりだが、政務上の様々な事情から毎晩のように酒と美食にいりびたる状態だった。七月に浅川の病院へ入院したときに分かったことだが、いま普通の生活ができるのが不思議なほど、楢本の血管壁は硬化が進行し、弾力性を失くしており脳動脈だけではなく心臓の冠状動脈も弁の硬化、閉塞傾向から弱い血流逆行が生じていた。心筋梗塞の発作寸前だった。それほど楢本の血管壁硬化はひどかったのである。

 

熱海の料亭で山本や畑中たちと会った二日後、楢本の選挙区である秋田県議会の東京事務所が主催する楢本の後援会メンバーによるパーティが芝のホテルを会場にして行われた。

いつもなら好きなビールを何杯でも一気に呑み干していた楢本がビールにも、その他の酒類にもこの日はまったく手をつけようとしなかった。そんな楢本を参加している人たちが気づかないわけがない。まさか楢本の全身の血管が高血圧と動脈硬化によってボロボロになり、いつ血管が爆発するかわからない状態になりドクターから禁酒命令が出ているなどいうことは、楢本の秘書たちも知らないこと。人に話せるようなことではない。政治家には命取りになる。

「先生、きょうはお体の調子が悪いんですか? お酒にぜんぜん手をおつけにならないようですが……」楢本にビールを奨めにきた県議会議長の伊達が小声でいう。

「いや、いや、体調はすこぶるいいよ。やはり、伊達さんも不審に思っているようだな。ワシがいつものように酒に手をつけないことが……」

「そりゃそうですよ先生、あれだけお好きなビールにぜんぜん手をお付けにならないのですから……」伊達は丸テーブルの上にビール瓶を置きなからいう。

「別にそんな大げさなものじゃないんだよ。おととい、友人の医者が数年ぶりに訪ねてくれてな、そのときワシの肥満型を見て脅されたんだよ。そんなに肥えた体をしていては、ろくなことにならん、今日からでもまず酒を絶て、食事も半分にしろといわれたんだ。ま、ワシ自身もちょっと肥りすぎたと思っていたところだから、友人の忠告に従って減量策を始めたわけさ。禁酒だけじゃないんだぞ、食事量もいわれたとおりに、毎食を半分にしているんだ。それも菜食主義としてな。体が何か軽くなったようだぞ。正直いうと、きょうで三日目だけどな……」楢本はそういうと、いつものような割れ鐘のような豪傑笑いをした。これは声などではなく轟音である。

楢本の声は普通の会話でも、普通の人の怒号といえるほどの声量である。それも割れ鐘と同様の声は周囲の会話を圧倒してしまう…… 今も主賓である楢本が話しを始めると周りで談笑していた人たちは話をやめて楢本のほうを見る。みなが楢本の話を聞き入ることになる。

「そういうことだったんですか。しかしまあ、よく思い切られましたね。あれだけお好きだったお酒を。わたしには、とてもできることではないです」

「なあ、伊達さんよ、“決断”はワシのトレードマークだぜ。これからはもっと忙しくなることだろう。体調はベストコンディションにしておかないとな」

「もちろん、先生は大事なお体ですから。しかし、こりゃ…わたしも先生を見習って禁酒、減食をしないと、せめて今日だけでも……わたしも、ごらんの通り、どう、ひいき目に見ても痩せ型とはいえませんものね。そういえば、岸本会長もそうじゃないですか……え?」

伊達は脇でビールを旨そうに呑んでいた後援会長の岸本清次郎に声をかけた。慌てて手にしていたグラスをテーブルに置いたが、岸本の口もとをビールがひとすじ伝う。

「ああ、びっくりした、急に声をかけないでくださいよ、伊達さん……」岸本は立ち上がって口をハンカチで拭いながら抗議するようにいう。

「それはそうと、まったく伊達さんがおっしゃるとおりですな。わたしも、どなたの目からしても標準体とはおせいじにもいえない。わたしも楢本先生にならって、伊達さんと一緒に禁酒だけでも始めましょうか、ねえ、伊達さん……」またハンカチを口にあて、楢本と伊達の顔を交互に見比べながらいう。

「おい、おい、お二人とも急になにをいいだすんだよ。禁酒はワシの勝手で始めたことなんだぜ。あなたらがワシに付き合うことなどまったく必要ないよ。あなたらはワシのようなデブじゃない……ま、ゆっくり、呑んでいってくれよ。ワシに酒の遠慮なんてサマにならんぞ。おい、呑んでくれよ、伊達さん、岸本さんも……」そういいながら二人のグラスにビールを注ぐ。

 

七月二十二日、楢本大二郎は浅川との打ち合わせ通り、別府市内にある東洋医学療養センターに入院した。このとき楢本は更迭された室山にかわり新しい運輸大臣に就任し、汚職事件の温床になった運輸省内部の刷新、改革が期待されていたが、その期待にそむくことなく独自の英断をもって改革作業をすすめていた。

そんななかでの入院だったが、入院の数日前に、秘密裡での入院は却って不用な憶測をまねくことになるとして国会記者クラブで会見を行った。

「これからの政務をさらに積極的に進めるため、断食による精神統一と減量を図る決心をした。友人の医師、浅川勇一医博の指導によるもので、入院日は七月二十二日。入院先は別府市内の東洋医学療養センターで入院期間は三十日でその間は面会、電話等による外部との接触は禁止。帰京は八月二十二日になる。帰京後改めて会見の日時は発表したい」というのが会見の要旨だった。

「時の人」となっていた楢本が突然、断食のために入院すると聞かされた報道関係者たちは一瞬いろめきたった。断食という言葉を何か宗教的な行事と考えるものもいた。これまで、東洋医学の断食を実践すると公表した代議士はこれまでに一人もいない。殊に楢本大二郎は八十三才になった今でも、秋田県柔道連盟の名誉会長として、年に数回は柔道六段の楢本が模範演技をするほど身体頑健で病気とは縁とおい人だった。その楢本代議士が入院すると聞いて記者たちが「代議士の体に異常が?」と色めきたつのも無理からぬことだろう。

記者たちの質問に「断食という方法は古来から武術者、僧侶などが精神統一と身体の若返りのために使われてきた非常に有効な体の鍛錬術である」ことを実例を挙げて詳しく説明する。

もちろんこの会見は予想される質問をあらかじめ想定した原稿を浅川が作成し、それを自分のものとして消化し自信満々の顔で記者会見した楢本だった。そしてその断食の有効性は故千島喜久男博士が提唱した、現代医学が反発する革新の医学理論「千島学説」が理論的に証明している方法だということも、浅川の指示どおりにつけくわえた。その楢本の会見の様子は、あたかも弟子たちの質問に応える老師の姿を見るようだった。

自分の政治生命を賭けて、批判の的になっていた汚職政治の改革が求められている今、その改革者の精神統一と体内浄化による生まれ変わりはその政務に必須要件といえる。断食の実践を決意したと語る楢本に最初は懐疑心を抱いていた記者たちも楢本の演出効果によって、彼の政治改革への強い意志の現れだと確信するにいたった。その日の夕刊各紙、テレビやラジオでは楢本の決断が大きくとりあげられ、称賛の言葉とともに報道された。

 

それから一ヶ月後、楢本は予定の断食過程を終えて帰京した。入院前には八十六キロあった体重は七十四キロ、実に十二キロもの減量をなしとげたのである。日焼けした黒い顔にみられた異常な赤みは完全に消え、全身の筋肉は引き締まり、精悍な若者のような張りのある肌に変わっていて十才以上も若返ったようだった。

驚いたことには入院時に確認された直腸のポリープは二個とも完全に消滅していることが退院時の内視鏡検査で確認され、あの百九十以上もあった血圧は最高値が百四十前後、最低値は八十前後で安定し、動脈壁の弾力性もわずかではあったが改善されていた。初めての体験であった断食という療法が、こんなに短期間で、これほど劇的ともいえるような結果が生まれるとは想像外のことだった。ただ、ワラをもすがるような考えで浅川たちに指導を依頼しただけだったのだ。

これは後日、東洋自動車の山本にふと楢本が漏らした言葉ではあったが……

それはともかくとして、退院後の記者会見をした楢本を見て記者たちは驚いた。会見場にあらわれた楢本を見た瞬間、会場には一種のどよめきが生じた。引き締まった楢本の体からは何か表現しようのないエネルギーが放たれているように皆が感じた。それはそこにいた人たちが今まで体験したことがない不思議な事実だった。東洋医学療養センターのこと、また断食中のさまざまなことについて質問が矢継ぎ早に飛んでくる。だがこの会見には原稿を用意する必要はない。

どんな質問にも体験を話してやるだけのこと。もちろん、自分の血圧とポリープのことは除外してのこと。もっともかれらに聞かせたい奇跡ともいえる事実を話せないことが、楢本にははがゆくて仕方がなかった。

会見を終えて、衆議院の民主進歩党議員控室への絨毯敷きの通路を歩きながら楢本は、山本との出会い、そして山本と親しい畑中、浅川、川上といった医学者との運命的ともいえる出会いがあったことを改めて感謝していた。もし山本との出会いがなかったら、また浅川、畑中という医師との出会いがなかったら、楢本の政治家という生涯は病死或いは半身不随という不名誉な理由によって断たれていたことだろう。

このときから楢本は隔月に夜行寝台特急を利用して浅川の病院を訪れ、定期健診を受けるようになった。これまで信頼していた現代の西洋医学が、驚異的な効果を示し、副作用もほとんどない東洋医学治療の存在を患者に紹介することもなく、ただ外科的療法や薬剤投与だけに終始していたことに楢本は激しい怒りと不信感を抱かざるをえなかった。

内閣の変遷とともにその後文部、経済産業、労働などの大臣を歴任したあと、今は閣僚外にある楢本だが、『平成の彦左』としての名声は絶えることがない。淺川や畑中、川上たちとも山本同様に親友としての交際が続いていた。

この楢本大二郎が文部大臣時代に相談役として就任し大きな権限をもつ大手海運会社の南海汽船に、東洋自動車の山本俊幸常務の部下である姿逸平が社外放出処分となって赴くことになるとはまだ誰にもわかることではない……

 

(つづく)

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