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千島学説|新生命医学会

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長編小説 霧のなかの巨塔  第36回

第三章 美しき旭日

■かけはし②

「堀口先生、千島学説を知る医師はまだまだ少ないですね。何か特記するようなことがない限り、われわれの年代の人間はほとんど、というよりまったく、知りません。

六十歳を越えたドクターになりますと、その若き時代に千島喜久男博士の研究内容が大々的に新聞で報道されていたそうですから、かなりのドクターが知っているようです。それに対する関心の度合はさまざまだろうと思いますけどね。

しかし最近は、医学部に籍をおく若い学生のなかには結構、千島学説に関心をよせるものがいるようですよ。何処で情報を得ているのか知りませんけどね。ただ、わたしが知っている学生は国会図書館で千島喜久男博士の著による全十巻の『革新の生命医学全集』を見て千島学説の存在を知ったといっていました」

「へえー、国会図書館に博士の著書が置かれているんですか?」黙って聞いていた堀口だったが驚いたような声をだす。

「ええ、その学生の話ですと、貸し出しは禁止で、利用は館内閲覧だけになっていたといっていました」

「そうですか、知らなかったなあ、千島学説というものを……もっとまえに知っていたら、わたしの人生も変わっていたかもしれません、これは結果論ですがね」

そういうと堀口は苦笑いをする。

「……治療などとはいえないことを、平然とした顔で施していたことに自己嫌悪を覚えていたこともありましたが、惰性に流されているうちに、そんな感情は消えてしまいました。今のままの暖かいお湯に、のんびりとつかっていたかったんです……」

堀口はそういいながら立ち上がると当直室のカーテンを閉じる。

「堀口先生、そんなにご自分を傷めつけるようなお考えはよして下さいよ。わたしも千島学説を知ることがなかったら、これまで通りに内科医局の仕事を惰性によって機械的に続けていたと思います。わたしが千島学説に出会えたのは、淺川先生のお陰なんですよ……」

「淺川先生……?」堀口は当直室の隅に置かれた電気ポットから急須にお湯を注ぎ込みながら吉村を振り返って問いかける。

「はい、淺川勇一先生です。わたしの母校、京大の大先輩で、いま別府市にある東洋医学療養センターの病院長に就任されている先生です。先生の専攻は産婦人科学ですが癌細胞の起源について研究されているとき、千島喜久男博士との出逢いがあって、そのときから千島博士が提唱する千島学説に傾倒されましてね、その理論をこのセンターの東洋医学科の主柱にされ、いま、千島学説の原理を応用した治療を続けておられます……」吉村はテーブル上の湯飲みを手にとりながら、以前の出来事を想い浮かべるようにカーテンを見つめながら話を続けた。

「……三年まえのことでしたが、大阪市内で開催された血液学講座に淺川先生からお誘いを頂いたのです。『ちょっと面白い講座だから、来てみないか、ワシも行くから』ということでしたが……いや、驚きというか、感激というか……そのときの講師は東洋医学療養センターの内科医長をしておられる水上利文先生で、実に感動的な講座でした。講座が始まるまでは血液学講座だと聞いていたので、そんなありふれた話なんか、こういっては誠に失礼なことですが、いまさら、そんな血液の話なん、と思いましたが淺川先生のお誘いということもあって、仕方がないという気持ちで参加したのです。ところが、この講座が千島学説による血液学講座だったのですよ、その第1原理とされる『赤血球分化説』の……」

吉村医師はそのときの模様を語り続ける。誘った本人の淺川病院長は急遽生じた東京での所用のため前日の土曜日、大分空港から東京に向かっていて、講座へは吉村だけの参加になる。会場となった大阪の公共施設大ホールには三百人ほどの人たちが来ていた。午後一時丁度にその講座を主催した大阪西第二療術師会の担当者の挨拶に続いて水上の講演が始まる。『千島学説』との出会いから十六年になるという水上の体験を主体とした話は参加している人たちの理解をより容易なものにした。単なる講演だったとしたら内容が内容であるだけに参加者の理解は得られなかったに違いない。

 

水上医師は十六年まえ、静岡県藤枝市で内科医院を開いていたが、その秋、頑固な腹鳴と下腹膨満、そして時折りだったが大腸部に鈍痛を感じるようになる。ちょうど虫垂にあたるような箇所に限定したような症状のため虫垂炎を疑ったが、様子がちょっと違う。友人が病院長をしている外科病院で精密検査を受けたところ、内視鏡検査により、上行結腸終部に1センチほどの腫瘍が発見された。

ステージⅡ後期に該当する結腸癌だと診断される。何かの異常があるだろうとは思っていたが結腸癌だったことは想像外だった。いつも、健康には留意していたのに。

「水上君、どうだ、ここでオペするか?」大学で同期生であり、今は病院長になっている小瀬本がニヤニヤと笑みを浮かべながらいう。

「切られるのはイヤだが、それより方法はないんだろう?」少々ヤケ気味な口調で答える水上。さすが現役医師だけあって落ち着いて逆に問いかけた。

「なあ、水上よ、君のためにいうのだが……」と小瀬本は言葉を切り、周囲に人がいないことを確認するように見回してから話しを続ける。

「……切ることはヤメとけや。外科医のオレがいうんだから間違ったことはいわないよ。こういう結腸癌は大腸内の環境が良くないからできるんだ。いくら出来た癌腫を切除しても、大腸内という畠の環境が改善されなければ、また悪い芽、いわゆる癌腫が出来てくる。われわれは癌の転移と称して患者に説明しているが、オレは転移なんていうものはなく、悪い環境内での新生しかないと考えている。だから切ることを考えるのではなく、新生した癌腫が存在できないような清浄化された腸内環境にすることを考えるのが先決だ。そうすれば出来た癌腫は自然に消滅していくんだよ。そこで大腸内を浄化するためにはどうしたらいいと思う?」

「クスリで消毒するんだろう?」水上は真面目な顔でいった。

「冗談いっちゃいかんよ、水上、そんなことをしたら腸粘膜が破壊されて死んじまうぞ。そうじゃないよ、断食たよ、断食。知らないことじゃないだろう水上、古来から宗教家や名だたる人物が精神統一や肉体的な鍛錬としてやっている『絶食療法』さ。この絶食、いわゆる断食は癌や様々な炎症性の疾患には特効ともいえる効果が現れるんだ。知らなかったのか水上は……」小瀬本は意外だというように水上を見る。

「ああ、正直いってそういう語は聞いたことがあるが、そんな医学的な効果があるなんてことは知らなかったなあ」

「勉強不足だぞ水上は。ま、いまさらそんなことを言っても始まらないが、おまえ直ぐにでも断食道場へはいって治療を始めろ。オレももし癌になったら、この断食療法を始めるつもりだ。まったく現代医学には真似ができない特効がある。この療法というものは癌腫が体の何処に、また幾つあっても、同時にすべての癌腫が消滅または縮小してしまう……自然にだぞ。外科的な治療とされるオペなど、断食効果の足元へすり寄ることさえできないよ」小瀬本の声は次第に大きくなっていく。

話を聞いているうちに、水上は小瀬本がいう断食療法というものが、古代から行われているという事実があるからには、今は理解できないものの、悪い結果など起きることなとないと思えたし、小瀬本を信じてもいた。

「よし、オレもその断食療法というものに賭けてみる。おまえがそれだけ言ってくれるんだ。それで、何処の断食道場へ入ればいいのか教えてくれ」

「断食療法をするんだったら、別府市内にある東洋医学療養センターだ。形式は救急救命部まで備えた綜合病院で、その一つの科が東洋医学科で、断食療法だけを指導している。内科や外科、産婦人科などを受診したクランケでも、より完全な治療を望み且つ入院日数についても問題がなく、本人が希望するときには収容定員に空きがあるときには、転科して入院治療を受けることもできるんだが、大抵は2-3ヶ月待ちになっているらしいから、入院の申し込みをしても直ぐには入院できないだろうな。ま、そのときは待つしかないが、待つ価値は十分にあると思うよ。東洋医学科をもつ日本では唯一の綜合病院。病院長は畑中辰太郎先生、元東亜大教授のベテラン内科医だよ。以前、東京でお逢いしたことがあるが、実に立派なドクターだった。呼吸器系疾患治療の世界的な権威だそうだ。連絡先や詳しいことは、インターネットで東洋医学療養センターを検索すれば直ぐ分かるはずだ」

 

こういった流れのなかでこのセンターに結腸癌患者として入院した水上だった。この東洋医学療養センターは名前からいう東洋医学の治療が専門のように思われるが、実際は西洋医学による綜合病院が主体であり、その一つの科が断食療法のための東洋医学科なのである。だが、病院の思想としては千島学説の各理論が治療方針の基盤に織り込まれておりその結果、他の病院には見られない癌治癒率を誇っていた。

癌に限らず凡ての疾患に『部分に捉われず全体を観るべし』、『目前のことだけで判断せず、広く永い目でものごとを観よ』という千島学説の哲学的見地とともに新しい血液学理論を応用した治療方針が、すべての疾患に対して治癒率高揚という大きな役割りを果たしているに違いない。

西洋医学の綜合病院でありながら、東洋医学科を設置し、千島学説という現代医学にとっては口にするだけでもタブーとされる超革新理論を治療の基本として応用したことは畑中病院長の卓見だったといえよう。

千島喜久男博士の存命中から千島学説を全面的に支持し『千島喜久男博士の諸発見はガリレオ・ガリレイの地動説とならぶ世界的大発見だ』と折りあるごとに世界へ向けて呼びかけていた。しかし、当初は千島喜久男博士や畑中博士に賛同する医師、学者が多数いたものの、『医師会』という強大な保守勢力の圧力に負けて次第に表だって賛意を示す人は影を潜めてしまった。そんななかでも畑中博士の熱意と支持は変わることがない。東亜大学を停年で退官すると同時に、別府鳳会病院の理事長、萬葉幸之助の招請を受け、老齢を理由に引退した病院長の堂島一氏に代わり新病院長に就任した。

着任してから二年後、日本では類をみない特殊な病院を目指す必要があるとして理事長を説得し、厚生労働省の認可を受けると直ぐ、東洋医学科を新設する。また病院名も『医療法人鳳会・東洋医学療養センター』と改名した。まさに他に類をみない東洋医学的思想を治療基盤においた綜合病院が誕生したのである。

もちろん東洋医学科といってもよく知られている鍼灸治療はしない。断食治療だけであるため専門の治療師はおかず、断食治療の指導は内科医が行い、開設時の指導責任者は畑中が担当、後には内科綜医長の水上に移った。指導員は第1内科から第3内科の医局医が行なう。

病院に見捨てられた患者が人づてにこのセンターの存在を知って入院し、断食治療を受けて100%近い軽快、或いは治癒によって退院していくという事実は驚異といえた。そんな評判によって、いまは入院できるのは申込みから六ヶ月以上後という状態になっている。そんな実績の裏に、この病院すべての医師、看護師、技師たちへの徹底した千島学説理論の啓蒙があることは殆どしられていない。

当初は、あからさまに抵抗を見せていた院内の人たちも、畑中博士の人間性と熱意に押され、『世界に羽ばたけ東医センター』という合言葉のもと、次第に勉学心も強まっていったのである。

 

水上は入院中、毎日行なわれる健康講座を聞くとき当初は訳がわからなかった。自分の頭では常識として記憶していた医学理論が批判されることに理解できないのだ。

★赤血球の働きはガス代謝と栄養補給だとされているが、もっとも重要な働きがあることを見落としている。それは健康なときには体のすべての体細胞に分化、体内環境が病的な状態にあるときには癌細胞やその他炎症部の組織細胞に分化する機能をもっている。現在の定説とされる、赤血球は死の直前の老化した細胞とされているが、これは大きな誤りで、実際は細胞になるまえの幼児といえる段階のものだ。

★細胞の増殖は細胞分裂によるものではない。大変な誤説だ。すべての細胞は赤血球の融合による分化によって生じる。すなわち新生するものである。

★現代の宿命的遺伝学は間違っている。生殖細胞はその時点の赤血球の融合から新生するものだから、生後の生活環境や様式によって遺伝因子は変わってくる。宿命的遺伝因子はわずかであり、ほとんどの遺伝因子は現在の生活状態によって生じた赤血球が分化して生じた生殖細胞だから、後天性遺伝である。遺伝の大半が生後の生活様式によってその因子が左右されるものである。

★現代血液学は赤血球と白血球を完全に別のものとしているが、実際は同一のもの、すなわち白血球は赤血球が融合して分化したもので体細胞になる中間過程である。

★すべての毛細血管の先端は開放型である。定説の閉鎖型だという見解が何処からきたものか理解に苦しむ。血管外に出た赤血球が白血球を経て体細胞に変わる。この分化作用は臓器や組織からの誘導信号(電気的)によるものと推測される。

★飢餓などによる栄養不良時は体組織細胞から赤血球に逆戻りする。組織細胞中にリンパ球状の白血球が出現、互いに融合しあい赤血球に分化し近くの静脈に流入していく。リンパ球の核からヘモグロビンが合成される。

★現行の骨髄造血説は大変な誤りである。この説は栄養不良にさせた実験動物を使用したため、体組織細胞が赤血球に逆戻りしている状況、いわゆる病的状態を観たのに正常時の状態であると見誤った結果である。真の造血器官は小腸の絨毛で、血液の原料は消化され流動体になった食物である。

等々……

 

畑中の講座を受けたあと必ずといっていいほど、畑中博士のもとを訪ね、個人的に詳しい説明を願った。そんな熱心な水上に畑中博士は懇切に応えまた指導した。

水上が現役の内科医であったこともあるが、千島学説という新学説を初めて出合ったという水上の質問が、ここに勤務する医師たちにみられなかった、要点をついたことばかりであることに感銘を受けたのである。真実を得ようとする水上の熱意が畑中を感激させたのだろう。

畑中は千島喜久男博士の多数の著書や畑中自身の著書や文献のほか、種々の千島学説の真実性を確かめた畑中が自ら作製した組織標本のプレパラート、顕微鏡写真まで取り出して水上に説明する。当時、内科医長をしていた関川統伍が水上にいった。

「水上さん、病院長があなたに説明している顔を見ていると、オヤジが息子に勉強を教えているみたいだね。あなたに教えることが何か喜びで感じられているようだよ」

「そうですか? 正直申し上げて先生、わたしはこの千島学説というものに出合ったのは初めてなんです。ここ、二十年も医師をやっているというのに。だから、分からないことばかりなんですよ。ですが、畑中先生のお話を聞いていると、いろいろと自分の体験のなかで思い当たることがあるんです……たとえば、赤血球の行方について今の血液学では114日前後で肝臓や脾臓で破壊されているのだろうという、漠然とした推測だけで、この21世紀なっても確たる行方は解明されていません。

でも、よく考えてみると、こんなおかしいことはありませんよね。破壊されているんだったらその破片はどうなっているんでしょう? 概算すると毎日40cc、そのなかに含まれる赤血球の数は約2千億個が消失しているんですよ。その行方が分かっていないなんて。破壊されるというその残骸もなしに……また、破壊されるということですが、どうして、元気に働いている赤血球をこんなに大量に破壊するのでしょうか? なんのために破壊するのでしょうか、またその破片がまったく見られないのは理解できないのです。自然の摂理に従って機能的に働いていると思われる人体の機能なのに、どうして、そんな非効率的なことをしているのでしょうか、先生……」

水上は真剣に関川医長に問いかけた。

「水上さん、勘弁して下さいよ、おっかないなあ、あなたの質問は。そういう質問は病院長にして下さいよ。わたしなんかに、お答えできる筈がないじゃないの。病院長から勉強しろと強制的に千島学説を理解する宿題をもらっているだけなんですよ。正直にいいますが、わたしには分からないことばかりです。この学説は真剣に学ぼうとする人間には理解できる糸口がわかるかも知れませんが、そうでないものには、到底理解できません。わたしなんかは失格者の代表ですよ……」

自虐的にそういうと関川は逃げ腰になる。

 

水上は、千島学説の各理論について、ほんの部分的ではあったが、理解できる部分があった。ほんとうに現代医学の主要な定説のことごとくを批判した学説だったが、畑中博士がいったような現役医師が受けたというショックによる反発などはまったく感じない。分からない部分が多すぎたが、その一方で自分でも不思議なほど抵抗なく受入れられる部分も多かった。元来、水上には頑固なところがない性格であったことによるのかも知れない。しかし実際はそのような単純なものではなく、現代医学の盲点とされる事柄の幾つも自分の体験のなかに想いおこすことができたからである。

人間という生物は科学や宇宙を開発する事業には積極的に計画と実践にとりかかるが、その生物、いわゆる人間本体における様々な神秘といわれるナゾについては、その解明をする努力を放置し、推測にすぎない現代の定説が真実のものであると思い込むだけで、その真実性を確かめようとはしない。この現行のあり方は何処か大きな落とし穴に落ち込んでいることに気づいていないのではないか?

水上はセンターに入院しているあいだ、自分がこれまで今の医学の定説なるものについて何の疑問ももたず、人体の神秘といわれることを医学部時代の教科書による知識だけですべて知り尽くしているかのように満足し自惚れていた自分に、いいようのない羞恥心を覚えた。

東洋医学療養センターに入院していた一ヶ月というもの、時間が経つのも忘れて千島学説を理解することに没頭する。自分が癌で入院していることなど頭のなかから消えていた。学んでも、学んでもこの広く深みがある理論を短時間で学びとることなど当然に不可能なこと。水上のように単なる町医者にとってはなおさらである。

しかし、現代医学から異端視されているこの千島学説という各理論にいいようのない魅力を感じていた。今までは漠然としたものであった疑問のいくつかに、素晴らしいヒントを与えてくれているように思えたのである。

もちろん疑問が解消するにはもっともっとこの新学説を極めていかねばならない。

 

空腹感にさいなまれることを覚悟してきた水上だったが、減食期を数日過ぎたあたりから、全く空腹に対する苦痛は感じないようになっていた。苦痛どころか体が軽くなったような快い感覚を覚え、また頭脳が非常に冴える実感がある。三日ほど前に読んだ千島博士の著書にあった主要テーマがページ数とともに記憶に残っていたのである。そんな記憶か冴えたことなど今までになかったこと。

そのほかにも、断食による効果と思われる予想もしなかったことがおきていた。入院まえには、いつものように腰部に感じていた鈍痛がいつの間にか消えていたのだ。気づいたのは本断食六日目のことである。

退院を五日後にした夜のことだった。健康講座を終えた畑中博士が水上に三十分ほど後に、病院長室まで来てほしいと伝える。約束の時間通りに訪れた水上に前置きもなく用件を話し始めた。

「水上先生、お疲れのところ申し訳ありません。突然の話で恐縮なんですが、このセンターで先生に私の仕事を手伝って頂けないでしょうか……もちろん、今すぐということではありません。来年の四月からです。これから十ヶ月ほど後を予定しているのですが、ここに第二内科を新設する準備をしております。断食療法を専門に行う診療科で、種々の検査は従来の機器を使用しますが、治療は断食が原則で薬剤投与はしません。但し救急の必要が生じたときには、外科や第一内科による治療も行います。

そして水上さんにはここの副医長をお願いしたいのです。医長は私が兼任します。この第二内科では患者本人に癌告知をします。完治或いは軽快させる自信があるからですよ。患者に気落ちさせるような結果にはさせません。癌と闘う意欲をもたせるには必要なことなんです……」

「病院長、ほんとうに嬉しいお話を頂いて感激しているんですが、私は千島学説の輪郭というものを、ほんのわずか知っただけの、町医者のひとりにしか過ぎません。そんな私がこんな大病院の副医長なんて、とてもできることではありません。荷が重た過ぎます。ほかに沢山の先生がたが……」

水上は驚きと緊張のために声がかすれていた。

「水上先生、私があなたを推薦するのは、あなたの旺盛な知識欲と積極性をもっておられるからです。残念ながらいま、この病院にはあなたに匹敵するほどの人物ははいません。私が必要としているのは、積極性がありなんでも学びとろうとする勉学心に富んだ人なんです、水上先生……いろいろと先生のご都合がおありことと思うんですが、お引き受け下さいませんか……」

「ありがとうございます。実を申しますと、もっともっと、千島学説というものについて先生にお教え頂くことができないかと……できれば研究生のような形ででも、ここに置いて頂ければと勝手なことを考えていました。先生のお言葉、身に余る思いでおります。有り難うございます。よろしくお願い致します」

水上は考えることもなく、即座に承諾する。夢を見ているような気持ちだった。

千島学説というものをもっと学びたいという念願がかなっただけではなく、それを応用、実践も可能となる医局の副医長という立場までも申し入れられたのである。

 

静岡県藤枝市にある水上の内科医院は同じ内科医である妻の好子と共に診療する小さな医院である。近辺での信頼は厚く、近隣の多くの人たちが診察、診療を求めて来院してくれる。小さな医院ながらも市内では一応、名がし知られていた。人々の信頼は水上よりも美人女医で優しい、妻の好子を慕ってやってくる人ばかりだ。

X線技師の資格もとっている好子の存在は水上にとって「鬼に金棒」といえた。X線技師を雇う必要がないということは運営面において大変なプラスとなる。

長男の亮一は名大医学部の3回生、長女は県立高校二年生で医学に関してはまったく関心がなく、高校を卒業したら短大に入り保育士になるといっている。さしあたっては父親である水上が長期に亘って留守をしても医院や家庭において、大きな不都合はなさそうであることも、病院長の要請に即答することができたのだろう。

 

畑中病院長からの要請を喜びをもって承諾したその翌日、水上は関川医長の診察による内視鏡検査で上行結腸終部にあった腫瘍は完全に消滅していることが確認されたのである。わずか三週間あまり、ただ絶食していただけで癌腫が消えたのである。

水上は縮小くらいはしているだろうと思っていたが、消滅してしまうとは予想もしていなかった。心配していた妻の好子には、その日の夜に電話をしておいた。

半信半疑といった口ぶりだったが結果には喜んでいた。断食療法というものは以前の水上と同様にまったく知らない妻のこと、実際に消滅したことなど好子には理解できるはずがない。帰宅してから千島学説の存在といっしょに説明することにしよう。

電話を終えた水上はそう考えた。

退院するまでの五日間も畑中博士から借りた様々な書籍、文献を読みあさる。入院後にすぐ個室へ移ったこともあり、千島学説の勉強をするのに最高の環境にあった。

講座以外で部屋にいないときには病院長が在室している限り、必ずといっていいほど病院長室で畑中博士から千島学説についての説明を受けていた。規定の日課とされている共同作業や講座の時間以外の自由時間は余りなかったものの、寸暇も惜しんで千島学説の各理論の学習に没頭する。幾度も入浴時間の刻限を忘れてしまい入浴しそこなっている。

いよいよ退院の日が訪れた。一ヶ月で八キロ弱減量した水上だったが、顔の皮膚はツヤツヤとし以前を知るものには十歳以上若返ったようにみえただろう。見送りに出てくれた畑中病院長と、関川内科医長と固い握手を交わし礼を述べて水上はタクシーで大分空港へ向かう。翌年、水上がこのセンターに赴任したとき、関川から聞いたことだが、畑中病院長が退院する患者の見送りに出たことは、これまでに一度もなかったことらしい。よほど水上への期待が大きかったに違いない。

藤枝市に戻るとその日のうちに小瀬本の病院を訪ねた。在室していた小瀬本は我がことのように喜んでくれる。水上の千島学説に対する傾倒ぶりには驚くばかり。

癌が軽快することは当然だと思っていたが、水上が千島学説にこれほどのめり込むとは思いもしなかったこと。概略くらいは覚えてくれば上出来だと思っていたが、概略どころか各論にわたって究めようとする積極性、さらにはあの著名な畑中病院長自らが新設予定診療科の副医長として迎え入れたいという申し入れまで受けたという話に小瀬本は驚愕の思いを抱いたとともに僅かながら羨ましさを感じたという。このことはその後に友人にもらした言葉をまた聞きしたものだが……

水上の妻、好子は夫の別府赴任に最初は反対したが、水上の熱意に押されて仕方なく同意する。週末の二日間は必ず帰宅するという約束で。忙しい研究のなかで遠く離れた別府からそんなに幾度も帰れるものか、と思ったがそれをいったらまたまた話がまとまらなくなることは分かりきったこと。口先だけで軽く了承しておいた。

その後、水上は小瀬本の紹介によって、県内のある宗教団体本部に置かれていた千島喜久男博士の著による全10巻「千島学説・革新の生命医学全集」の閲覧許可をもらい毎週の休診日を利用して読むために通い、必要部分はコピーをしてもらい持ち帰った。赴任する来年の三月まではかなりの日数はあったものの、どれだけ学んでもまったく時間が足らないように水上には思える。

全集の第一巻、二巻にまとめられた『血液と細胞の起源』はとくに水上に大きな関心を抱かせた。白血球の食菌作用やマクロファージといわれる巨大細胞の食菌作用という現代医学での常識とされている項目について、批判的に解説されている部分などは驚異ともいえるような感覚で幾度も読み返した。コピーしたものも夜を徹して読みふけった。千島学説の輪郭が分かり始めると、今まで自分が行なってきた治療というものに空しさを感じるようになる。患者の抵抗力を高めるために、他の医師と同様なオーソドックスなプラスの栄養学を主体として指導してきたことに……

貧血傾向の患者には鉄分やその他のミネラル、また栄養分も多いとされるレバーを多くとるように勧めてきたこともある。定説に拘わりなく自分自身がそう思いこんでいた。ところがその考えたるや、抵抗力の強化どころか体力衰退、病的体質にする結果をもたらすことなっていたとは……家畜の肝臓、いわゆるレバーときたら、飼育段階から徹底的に投与されてきた抗生物質やその他の栄養剤、病気予防の各種薬剤が多量に抑留されている毒の溜まり場になっている臓器だったのである。そんなものを貧血治療薬のつもりで食べさせていたらどんな障害が起きることになるだろうか。まったく恐怖そのものと思われた。

水上は医師である自分の無知さ加減に赤面するような恥ずかしさをおぼえる。

肝炎患者に教科書どおりに高栄養、高タンパク食を徹底して指導してきた。栄養不良になると血液中の異常物質量が急速に高まるからである。これが栄養不足になると肝機能が極度に衰退して分解機能が不全になるためだとするのが定説であり、水上もそう考えていた。高栄養を与えると血液中の異常物質は瞬く間に減少してくるから、この定説は間違いないものと確信していたのである。

だが、事実は肝機能の低下と考えられていた現象が、栄養不足という肝臓その他の臓器にとって待ってましたといえる休息時間が与えられることで、これまで蓄積一方だった有害、不用物質を体外へ排出する機会を得ることになり、盛んに排出を開始したわけである。だが、高栄養を与えられることによって折角の休養時間が取り消されて再び酷使を強いられることになる……

水上は自分たちの常識なるものがまったく逆に考えられた間違いであることに、いいようのない衝撃を受ける。

 

……オレたち内科医は患者に対しての治療策はこれといってないじゃないか

ただ、薬剤投与と検査だけだ 内科医に治療らしきものはあるのか?

オレたちの業務は患者のためというより己の利益のためじゃないか

クスリの長期使用がどれほどの副作用を及ぼすものか詳しく患者に説明

することなど決してない 知っているけど面倒なのだ

内科のいまはクスリの投与と検査しかしていない これが医療なのか?……

 

水上が「千島学説」と出会ってからはその診療に大きな変化が現われる。機械的に診療してきた今までの流れから、患者の訴える苦しみというものを、ゆっくりと聞いてあげることに重点を置いたのである。緊急処置を要すると思われる患者は別にして緊急性がないと思える患者は、その愁訴をとことん聞いてやることが、クスリや検査などを施す処置より格段の効果があるとわかったのである。

当然に薬剤投与量は大幅に減少し、保険点数が効率的な点滴もほとんどしなくなることに。当然のことだが収入はかなり減少したことはいうまでもない。ただ、そのままでは医師が医師としての職務を果たさないという医師法違反に問われる可能性もあるため、ときには患者への暗示効果として微量のブドウ糖を静脈注射することはあった。もちろん、喘息や蕁麻疹、心臓発作など緊急の患者に対しては、従来どおりの対症療法によったことはいうまでもない。

水上のそういう処置の変更に妻の好子は反対し、往々にしてこれまでにはなかった治療に対する対立があったが水上は自分の新しい対策を変えることはなかった。夫婦で治療法が異なるという余り例がないクリニックになる。千島学説というものを知らない好子であるから彼女の処置は仕方がないこと。そんな好子に水上はあらためて千島学説を教えようとするような気持ちにはならなかった。本人に学ぼうとする意志がない限り教えても時間の無駄になるだけである。

日が経過するのは早く、別府への赴任までもう三ヶ月ほどに迫った頃、水上クリニックは他県からも患者が受診に来るほど大繁盛になり、自動電話予約制を取り入れて受診患者のスムーズな流れをつくるまでになる。

このシステムの採用で毎日、待合室に入り切れず外で待つ患者たちの苦労もほとんど解消した。「水上院長先生に診てもらうとその日のうちに治ってしまった」という、とんでもない噂が人づてに拡がってしまったのである。これには当の水上が驚く。患者の愁訴を患者の心ゆくまで聞いてやることが、これほどの効果を生むことになるとは想像の域をはるかに超えたものだった。患者の精神的揺らぎが数々の症状を生むという千島喜久男博士が提唱する『気』の重要性を、自分も証明できたのである。

頑固に従来の対症療法を続けていた妻も、次第に水上の、心を重視した治療法をとるようになってきた。水上が何もいわないのに。

夫の治療法をみているうちに現実の光景というものが、自然にその効果に気づかされたのだろう。その妻の姿に、思い残すことなく別府へ赴任できると安堵する水上だった。そんな二月の下旬、東洋医学療養センターの畑中病院長から確認の電話がはいる。第2内科の新設準備が完了して予定どおり四月一日から診療業務を開始することから三月二十八日に赴任してほしいということ、そして単身の赴任なのか、家族での赴任なのかといった内容で、単身なら2DKの医師宿舎が病院近くにあり、家族同伴の場合も家族住居があるという。水上は単身で赴任することを伝え、病院長の心配りに心からの礼をいう。また病院長は妻の好子にもお願いをしたいといい、水上の援助を必要とする現況を説明し改めて水上の赴任を要請したという。畑中病院長の温かく丁重な配慮に好子は感激していた。

三月二十八日、水上利文は東洋医学療養センターへ赴任した。新設された第2内科の副医長として。千島学説という超革新の医学理論を基盤とした、これからの新しい医療の実践に水上の血潮は若者のようにたぎっていた。水上が四十六歳の時である。

それから二年後、水上は第2内科の医長に昇格する。診断技術も指導力もセンターでのナンバーワンだった。着任当初は外部からの副医長ということでかなり反発する者もいたが、水上の温厚な人柄と抜群の知識と技術によって半年も経たないうちに病院内で水上に反発する人間は一人もいなくなる。

水上の千島学説への勉学心は赴任後も強まるばかりで千島喜久男博士の著による書籍はすべて読み尽くしていた。各理論の医療面への応用も積極的で、ことに患者の心理的緊張を弛緩させるための個人施術となる、暗示療法も独自に開発し治療効果を従来よりも格段にあげることにも成功していた。

水上はまさに東洋医学療養センターの代表的な存在になるが、水上はまだまだ畑中博士の指導や千島学説に学ばねばならないことが積み重なっているように思わざるをえない。千島学説というものは博士の五十余年という月日の集大成だ。それをわずか数年で理解しきることは不可能だし、できる訳がないと水上は思っていた。事実、余りにも偉大で著書を読んでいるうちに目まいを覚えるように混乱してしまうことも少なくなかったという。

 

「堀口先生、講演された水上先生の決断と研究心には心打たれました。ご自分でクリニックをやっておられながら、敢えて千島学説をより勉強するために新しい世界へ自分の城を飛び立たれたのです。たとえ、同じ内科医の奥様が城を守ってくれるといっても、やはり非常な決断を要する問題じゃないですか。私には異常としかいえない強烈な勉学心がないとできることじゃないと思います……」

吉村は語り疲れたのだろうか軽く目を両手でこする。

「いや、吉村先生、すばらしいお話を聞かせていただきました。私はここに着任してからまだ間がありませんが、この島のような無風状態の環境にいますと、今まで喧騒な東京にいた人間にはボケが始まるような気になります。私にはお話の水上先生のように城などはありません。これまで勤務していた病院は、この私の重大な不注意がきっかけとなって閉鎖ということになってしまいました……この今、私には何か決断を下すべきときがきたように思えます。東京から逃げるというような卑怯な手段を選ぶことではなく……」

「堀口先生、先生も現代医学の基盤や療法について、ある程度は批判の目をもっておられたんでしょう?」頭部に巻かれた包帯に軽く手を当てながら吉村がいう。

「もちろんです、吉村先生。とくに今の内科学はクスリに偏重し過ぎています。これは以前から気にいらなかったんですが、わたしひとりが騒いでも、どうにもならないことだからと、流れのなかに漂っていましたが、いまこそ、この淀んだ流れから抜け出すべき時期だと思えるようになりました。わたしも東京を発つときには東洋医学を実践できる道を探そう、またその基礎を学ぼうとして僻地とされるこの島へ着任したのですが、なにを学ぶべきかというその輪郭も探ることができないまま、今日に至ってしまったようなわけなんです……」

「そうでしたか。それなら先ず『千島学説』の輪郭だけでも掴んでおかれると東洋医学を学ばれるときにも、ある程度は理解しやすくなると思いますよ。私がもっている千島先生の著書をお貸しできればいいんですけど、私もほぼ毎日のように使っているものですから、千島学説を普及するための事務局がありますから、そこの住所と電話番号をお教えしましょう。そちらに書籍を注文されると直ぐ送ってくれますよ。電話番号をみます、ちょっと待ってくださいよ……」吉村は手元のリュックから手帳を出すと一ページを破りとるとメモ書きして堀口に渡す。

「こちらです。新生命医学会といいます。こちらへ書籍の注文をされるとすぐ送ってくれますが、さっきお話した『革新の生命医学全集』はすでに絶版になっていてありません。以前、私も注文したんですけどありませんでした。その他の著書はほとんどあるようですよ。なかでも『血液と健康の知恵』という著書は全集の縮小版ですから千島学説の輪郭を学ばれるにはいちばんいいかと思います。そのメモの下に記した名前、成田公一先生は岡山市内で成田外科病院の院長をしておられる外科のドクターで千島学説には深い理解をもっておられますよ。一度、この先生にお逢いになると何か参考になることを教えて下さると思いますよ。実を申しますと、成田先生は家内の父なんです……」

 

吉村はその翌朝早く、堀口との奇遇に感謝しながら元気に診療所を出ていった。ここへ来た目的の釣り場へ行くといって。吉村を送り出したあと、大きく背伸びをすると堀口は宿直室の窓を開け日本海を眺める。快晴の今朝は眩しいほどの青空の下に、濃いコバルト色の海が広がっている。遠くはカスミがかかっていて見通すことはできなかったが、蒼い海原という大パノラマは素晴らしいの一言につきた。

 

(つづく)

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