(a) 東洋医学と血液
古来、東洋医学では、その根本を気血の調和においています。気は精神を意味し、血は当然に血液及び肉体にあたります。これとつながって経脈論があります。経脈は精神が通る気脈(今日の神経に似ている)と、血液の通う血脈(血管)とにわけられています。精神と血液(肉体)との調和によって健康は保たれ、その異和によって疾病が起きるとされていました。これは、素朴な考えではありますが、現代の分析的な西洋医学に対し深い示唆をあたえています。
インドのブラーマン教時代の医書、(アーユル・ベーダ)には「食物は乳糜となり、乳糜は脾と肝で血液となり(千島学説の第5原理・腸造血説と観点が似ている)、血液は筋肉を生じ、脂肪は骨を生じ(血は筋肉を生ずるという点は赤血球分化説に一致する)、骨は髄を生ずるが脈管内の血液がその成分(空気、粘液、胆汁)に異和を生ずると病気が起きる」としています。
古代漢方医学でも、インドのこの思想に似たものがありました。即ち、杉原氏によれば、「食物から消化器中で必要な成分(正)が吸収されて精となり、不要(邪)なものは体外に排出されて、精は絡脈を経て六腑(内臓)に貯蔵され、必要に応じ絡脈を経て六腑に入り血液に変化し、消費部へ行って消費される」となっています。この杉原氏の考えは、千島学説・第2原理の「血球と組織の可逆的分化説」に似ているようです。
小川政修氏によりますと、古代エジプトの医学もまた、清浄な血液、体液と空気が健康の基礎だと考え、メソポタミアの医学は、殊に血液を中心にしていました。即ち正しい飲食をとり、血液を清浄にすることが長寿の秘訣だとされていました。また、夢は血液から生まれるものだと考え、夢占いは現代の生理学者或いは精神身体医学者の身分にある人が行っていました。ユダヤの旧約聖書には「肉体の生命は血に宿る」と記され、血液の重要さが直観されていました。
インド・ベーダの聖典カトバニシャッドには、心霊は心臓にあり、これは瞑想によって拇指大の光明として感じることができるとして、心臓や血液に神秘的なものを感じとっているのことに、今日の科学はこれを単なる迷信として一笑に付すべきではないと思います。
(b) 古代ギリシャ医学と血液
西洋医学の父といわれている古代ギリシャのヒポクラテスは「人間と自然は一体であり、人間の体内には活力が内在し、それがよく調和を保っておれぱ、健康であるが、何かの原因でそれが乱れると病気になる」と説きました。彼は医学を宗教から分離し、科学の水準にまで高める最初の道を開いたといわれていますが、実際は彼は牧師であり、医師を兼ねていて、祖先以来の神々の神託を受けて治療にあたっていたということは忘れられているようです。ヒポクラテスの医術は、食物、水、草本、叉は薬草類を用い、自然の法則(神)を信じ、東洋的な自然療法に近いものだったことでしょう。ヒポクラテスの唱えた「液体病理説」は有名です。これは、血液・粘液・黄色胆汁・黒色胆汁の4液を人体組成の基本的液体とし、病はこの4液の不調和から起きるというものです。彼は壮年時代に小アジアを旅行していることからも、また彼の液体病理説がインドのブラーマン教時代の血液観と似ていることからも、東洋の古代思想の影響を強く受けているように思われます。
何れにしても、血液、体液の調和と不調和を健康か否か、また性格と結びつけたことは、大変興味深い着想です。そしてこれは、科学的にも根拠がないとはいえません。彼の液体病理説は単なる空想や思いつきではなく、一定の根拠をもっていたものと推測できます。なぜなら、ヒポクラテスのいう4種の液汁は、血液を意味しているからです。メイヤーは、これについて「血液が特別な液体であることは古来、人類最古の思想財であり、生きている限り血液は古代の4汁の調和がとれた混合物だ。新しい血液を数日間放置しておくと、その性質として、上述4汁を泌出する。底には黒色の血餅が現れる。これが黒色胆汁にあたり、その上には黄色の血清が出る。これは黄色胆汁に、その上には粘液層ができ、いわゆる血は生物的性質の混合液である」といっています。
これらの液汁を胆汁と呼んだのは、当時の偉大な生理学者、ガレーノスが肝臓は造血器官であると考えたからだといいます。しかもこの4種の液汁から結局、すべての組織、器官、一切の生物体が構成され、この4汁が正しく構成されているとき、生体は健康であり、1汁でも過不足になると病気を起こすと考えていました。この4汁説が古代生理学の根底になり、ヒポクラテスの診断学の基礎になっていました。
また、4汁の根本性質の結合から種々の器官の堅さの程度が説明されます。血は根本要素「水」を含み、さらに上述の4汁を生じます。骨と筋肉は「地」の性の普遍的性質を備え、且つ絶えず血によって調和的に還流されています。肉や骨の損傷が血と密接に関連するという考えも、この千島学説・第1原理における赤血球の分化能と一致しています。
古代ギリシャ人はさらに、心理的傾向に対して4つの根本的気質を分類し、それと4汁を対応させています。それが今日でもしばしば、人間の気質型として用いられています。即ち胆汁質、粘液質、多血質などがそれです。
4汁のなかの1つが過剰な場合、気質の変化となって現れるといいます。黒色胆汁の過剰は暗い気質、憂鬱症を、黄色胆汁の過剰は怒りやすい胆汁質的気質を、粘液過剰はにえ切らない粘液気質を、また血液量過剰は、熱しやすい気質を結果すると説いています。もちろん、古代ギリシャの血液観をそのまま現代の生物学や医学に、そのまま適用できるなどというわけではありません。現代科学が余りにも分析的、機械論的に生体や血液を観ているのに対し、古代人は鋭い直観によって現象の極めて根本的なものをよく把握し、しかもそれを見事に体系づけていることに、我々現代人は大いに学ぶ必要があると痛感するわけです。血液を生体の本質的要素とし、生体の他の要素も血液を基礎とすると説く点、血液の組成と健康、疾病、気質などとの関係をこの古代で洞察していたことに、驚嘆するほかありません。
また、当時の「入れ子」概念も現代科学の諸成果と厳密に一致するとはいえませんが、有機体、殊に細胞や生物体の個体発生や系統発生の段階的な有機的体制化とよく符号するものもあるようです。それは千島喜久男博士が発見した、バクテリアの集団から藻類、原生動物、血球、また各種細胞に発展し、さらに無核赤血球や藻類(クロレラ)の集団から、より高次の細胞へと発展し、ついで多数の細胞の集合と分化、そして有機的体制化によって個体を構成する過程(千島博士のいうコアセルヴェートの体制化)と相通じる点が多くあります。
(c) ギリシャ医学の流れをくむもの
ヒポクラテスの流れをくむパラセリアスは、16世紀のスイスの医師であり、錬金術家でした。彼は血液について「人体を循環する血液は、そのなかに神が宿る気体のような、また火のような魂を含み、この魂の中心は心臓にある。心臓には魂の最も凝集した中心があり、そこから体中に放射し、再びそれは心臓に回帰する」と説いています。
このように、古代や中世の先賢たちは、血液及び心臓に生命の本質的なものが宿っているものと直観していました。さらに近代になってからは、フランスの動物哲学者、ラマルクは進化論の先駆者として有名ですが、彼はその著書『動物哲学』のなかで、血液と体液が動物の各種器官を形成する基礎であることを見抜いています。
ラマルクが主張した用不要説を第1の原理としますと、次の彼の第2原理は、本項の赤血球分化説と深い関連がありますので、ここで概説しておきましょう。
彼は「流動体を含み非常に柔軟な部分におけるその流動体の運動力について考えて、私はやがて生物体内の流動体の運動が加速されるに従って、その流動体が運動の場としている細胞組織に変化を与え、、そこに通路を開き、種々の脈管を形成し、遂にその流動体が見出される体制の状態に従って、各種の器官を造るに至るということを確信する」と述べています。ラマルクのこの第2原理は、今日まで完全に無視されてきているようですが、本項の赤血球分化説と、生物のオルガナイゼーション(有機的体制化)段階説とによって、彼の説が正しいものであることが証明されたといえましょう。