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長編小説 霧のなかの巨塔  第40回

第三章 美しき旭日

■乱気流①

JIR240便、東京行きのジャンボ機は徳山市上空から間もなく瀬戸内海上空へ抜けるところだった。機の高度は二万フィート、約6千メートルでなお上昇中だ。

もう厚い雨雲は眼下の雲海となっていて、雲以外のものは何も見えない。

上空は紺碧の空で午後の陽光が眩しく輝いている。陽射しは強いが後ろからの日差しのために眩しさはない。窓から見える雲海は綿を詰めた柔らかく広大なマットのようで、飛び降りてみたいという衝動にとらわれそうだ。

風が強いからだろうか、あるいは機の速度によるものなのか、目前に見える巨大な主翼が大きく、或いは小さく上下に揺れていた。どうやら心配でならなかった超大型台風の影響はまだ出ていない。うまくいけば東京に着くまでは影響がないかも……

 

静かな機内には時折り何かの機器が作動する音と、規則的なエンジンからの噴射音が聞こえてくるだけである。シートベルトの着用サインも消えていた。

「なあ、恵美、恵美はいつの間にか超能力者のようなパワーをつけるようになつたんだが、恵美のような強烈なパワーは普通の人間には現われないって言っていたけどさ……恵美はやっぱり超人間になってしまったんだな」

逸平は不思議なものを見るように改めて恵美の顔をみつめる。

「そんな顔で私を見ないで、あなた……」逸平に抗議するように言う恵美。

「……わたし、超能力者なんかじゃない、普通の人間よ、あなた。ただ、今度の病気を克服してからは力がどんどん、体の奥そこから溢れ出てくるのが感じられるようになっただけなの。それ以外は、いつものただの恵美なのよ、あなた……」

「いや、そんな、恵美を超人扱いしてなんかいないよ。そう思えただけだ、言い方がわるかった、ごめん。ただ、恵美の体からどうして、何のきっかけがあって、そんなパワーが生まれることになったのかそれが知りたくてね」

「わたし、あなたから私の病気が癌だって教えてもらったことがあったでしょ……」

恵美は周囲の静寂さから、あたりを見回すと声を潜めていう。

「……そのとき思ったの。こんな癌なんかに自分が殺されてたまるもんか!って心から強く思ったわ。わたしのいちばんの苦しみの元だった、正樹があんなにいい子になってくれたんだもの、これから、幸せな家庭が戻ってくるというのに、そのときを迎えさせないようにしようとする癌に激しい怒りを覚えたの。絶対に癌になんか負けないと心に誓った……それからはいつも癌細胞というものの形をわたしなりに思い浮かべて、それを指で一つ一つ、片っ端から潰していったの。わたしを苦しめたこの野郎という思いを込めてね。空想の中でも潰されていく情景に感激したわ、潰されていくたびに“私を苦しめた罰よ”という気持ちで心の中でバンザイを叫んでいた……」

 

そう話してくれる恵美の顔には感情の高まりのためか紅潮してきたように思えた。

その高ぶった「気」によって恵美のオーラの輝きがいっそうにゆらぎながら高まっているに違いないと逸平には思える。恵美の話を聞いているうちに、彼女のなかにこれまでまったく知りえなかった激しくまた強い気性が隠されていることを逸平は初めて知る。水上医長がこれまでに見たことがない強烈なオーラを放射していると驚異の目で見ていたが、その基盤には優しく、おとなしい性格の恵美でありながら、その反面には激しい「気性」をもっていて、その「気」が驚異的な超エネルギーを発動させたものだと逸平は確信した。逸平には見ることが出来ないものの、金色をした眩しいオーラを放射し続けている恵美が、神の化身になっているようにさえ逸平には思えてくる。それほど、いまの恵美から漂う雰囲気はこれまでの恵美と大きく違う!……

「恵美の精神力は、まったくすごいの一言に尽きるな。そのものすごい気の力だったんだよ、恵美を健康以上のものにした原動力は……そしてその総仕上げとして働きかけたのが断食療法だったんだ。淺川先生がいつも言っていただろ? 心の状態と血液の関係について……」

「心での思いというものが体の状態に意外ともいえるような大きな影響を与えるということでしょう? 病気になったんだろうかと思い込んでいると、その通りの症状が現われることがあったり、逆に病気は治っているよという暗示を与えられたり、イメージを思い浮かべていると、本当に病気が治ってしまうという、心のもち方と健康のお話だったわね……」

恵美はその講座をいま聞いているかのように目を輝かせる。

「うん、人間の体というものは本当に不思議なものなんだな。想像しているだけで、本当にその状態が体のなかに生じるとは……」

「昔からの言葉に“精神一統何事かならざらん”というのがあるけど、わたし、実際のことをはっきりと言い表していることだとわかったわ。自分の体験でね……」

「うん、オレたち東洋医学療養センターへ入院してほんとによかったな。恵美は健康体以上の健康を得ることができたし、オレは体が軽くなって若返ったような気になれたし、あの超革新といわれる千島学説も、概略だけでも知ることができたことも、これからの生活に大きく役立つことになると思う。みな、素晴らしいことばかりがあったように思えるんだよ……正しいものと思い込んでいた今の医学には、オレたちがまったく知らなかった沢山の想像上の事柄があたかも実際の現象であるかのように世界の常識になってしまっているなんて……だけど、オレたちは先生方や体験のなかでその事実を、また千島学説という革新の理論によってその医学定説というものにある矛盾が証明されていることも、知ることができた、ごく僅かの人間の仲間入りをすることもできた……オレたちが会得できた多くの健康上の知識を病気に悩む人たちに知ってもらって、健康への足がかりとしてもらうようにしたいものだね」

自分たちの体験によって人々にアドバイスができるようになった現実、そしてはつらつとした健康以上の健康を得た恵美とともに我が家へ戻ることができた幸せに、今まで感謝したこともなかった「神」なるものに心から感謝する逸平だった。

恵美が緊急入院したという正樹からの連絡を受けて、急遽、札幌から帰京し、空港から恵美の入院先である外賀綜合病院へ向かうタクシーのなかで、家路に急ぐのであろう通勤帰りの車を運転している人たちに対し、妻が待っているだろう家庭の幸せを想像して恨めしく思った、あのときの自分を思いおこし、今の幸せにあることが嬉しくてならなかった。

 

JIR240便東京行きジャンボ機のコクピット内では機長の増田と副操縦士の大塚が、さきほど客室乗務員がもってきてくれた熱いコーヒーを飲んでいた。

機はINS自動操縦装置による操縦によって高度三万フィート、約九千メートル上空を水平飛行していた。増田と大塚の目前にある操縦桿がコンピュータに入力された指示どおりに対応し、細かな動きを見せている。

「大塚君、相変わらず第4エンジンの過熱警報は消えないな……」機長の増田がメインディスプレイの下段にならぶサブディスプレイを顎で示しながら苦笑いする。コクピット内の会話はすべてボイスレコーダーに収録されるため、運行中はいつも送受信機能が一体になったヘッドセットによって会話が行なわれる。

青い標示画面上部の機体図に一つの赤い警報ランプが点滅している。警報音は離陸時から大塚がオフにしていた。もちろん、機長の許可を得たうえで。

「はい、ずっと同じ調子ですね。圧縮比、燃焼室温度、冷却液循環速度、液量、オイル量、そして推力のすべてが異常なしの数値を示しているのに、まったく原因がわかりません。ナゾとしかいえませんね、まったく……」

「石垣上空から続いているんだ、ま、このエンジンの異常などではない、特徴みたいなもんだな、しょっちゅう出ているのに、機体の状態には異常がないんだからな。気にするな、羽田に降りたら再度、精密検査をさせることにしようや」

「はい、分かりました。それしか仕方ありませんね」大塚は点滅を続ける警報ランプを見ながら諦めたようにいう。このディスプレイ上の異常を除外すれば、機はこれからも平穏なフライトを続けてくれることだろう。

大塚はコンソール正面の気象レーダー画面に目を移す。そのとき突然に、緊急無線受信機が電波を受信しブザー音がコクピット内に響き、頭上のスイッチ類が並ぶコンソールの一つのスイッチが赤色になり点滅を始める。緊急無線を受信したのだ。

・・・JIR240便、感度いかが、発信・浜中航空管制所。繰り返す・・・

緊急無線の入電と同時に大塚はメインコンソールのグローブボックスから航空業務日誌という金文字が入った黒色のファイルを取り出して記録の準備をする。

機長の増田は落ち着いた様子でヘッドセットを頚まで下ろすと、メーターパネル横にある赤いマイクを手にすると、プレストークボタンを押す。

「JIR240便の機長、増田です、感度良好。オーバー」

・・・千歳発IAA1103便からの連絡によると遠州灘近辺に巨大な積乱雲による広範囲なスコール域がある。20分前の気象衛星による解析像では南北1800キロ、東西430キロ、雨域は海上が中心、積乱雲の層は四万フィート以上、ゆっくりとした速度で南南西へ進んでいる。三万フィートでも猛烈な乱気流だ。IAA1103便MD10は十五時〇三分、高度三万フィートでエアポケットにつかまり、乗員・乗客の多数に負傷者が出た。IAA機は名古屋空港に緊急着陸している。オーバー・・・

「240便、ご連絡有り難うございます。IAA機はスコール域の状態をいっていませんでしたか? オーバー」

・・・三万フィートの空域では激しい乱気流があるが、二万フィートでは乱気流はないが猛烈な雷雨になっている。雷雲のなかということもあり乱気流の発生は十分に考えられる。オーバー・・・

「了解しました。240便はこれより高度を下げ、二万フィート空域をとりたいと考えますが該当空域をフライト予定の機はありませんか? オーバー」

・・・二万フィート空域をフライト予定の機はない。但し一万フィート域をフライト中の小型機と雷雲層のなかで交錯するはずだ。機種はファミロン7A。高度差は十分にあるが猛烈なスコールで小型機が迷う危険もある。十二分に注意されたい。確認するが、240便、フライト空域を二万フィート域に変更するか? オーバー・・・

「240便、フライト空域を2万フィートに変更します。オーバー」

・・・浜中航空管制所、JIR240便のフライト空域を三万フィートから二万フィート域への変更を許可する。240便、無事なフライトを祈る。アウト・・・

「240便、有り難うございました。感謝します。アウト」

 

業務日誌にいまの浜中航空管制所との交信要旨を無線機からの音声で記録していた大塚が機長からの指示を受けるべく頭を上げる。機長は緊急無線マイクをフックに掛けながらヘッドセットを手にすると頭に戻し大塚に指示を与える。

「これから二万フィート域まで下降する。INSオフ!」

「INSオフ確認しました」機長がINS、いわゆる自動操縦装置の作動を解除した瞬間、機がわずかに沈んだが、すぐ通常に戻る。

「もうすぐスコール域の先端にかかる。シートベルト着用のサインを出してくれ。そして気流が激しい空域に入る旨の機内放送も頼んだぞ!」

「了解しました。シートベルト着用サイン、オン、OK」呼称確認すると大塚はオーバーヘッドコンソール上の一つのスイッチを押す。スイッチが赤く点灯する。それを確認するとコンソール脇のマイクを手にし幾つかのボタンの一つを押した。チーフパーサーのコールボタンだ。ボタンが緑色に点灯する。・・・はい、大郷です・・・

「大塚です。シートベルトの着用サインを出しましたが、ただいま激しいスコール域を通過しています。乱気流の危険もありますから各化粧室、電話室を確認し使用中の乗客がおられたら直ちに座席まで誘導してください」

「了解しました、これから直ぐ確認、誘導します」

いつの間にか機の窓外は夕暮れのような暗さになり大粒の雨が窓を叩いていた。とき折りまばゆい稲光りが機の窓外を照らしだす。

 

(つづく)

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