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千島学説|新生命医学会

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長編小説 霧のなかの巨塔  第52回

第三章 美しき旭日

エピローグ

事件が起きた当初は、急患で搬送されてきた姿恵美という患者を恨んだこともあった……数ある救急病院のなかで、よりによってこの外賀総合病院へ運ばれてきたばかりに、こんな、とんでもない事件が起きてしまったんだ……と。

しかし、今の堀口は逆に、この姿恵美という偶然の患者に感謝をしていた。彼女は自分に、新しく、明るい医学への道標を見つけてくれた人……そして、病院長、外賀萬蔵の卑怯な犯罪を暴き、ヤミのなかに包まれていた病院不正経営というウミを出すことに協力してくれた救いの女神だったと心底から思っていた。

もちろん、直接のきっかけは看護師、松川由美が自ら断った若き命だったが、姿恵美が外賀総合病院の運命を、偶然という遭遇によって様々な変遷の方向づけをしたことも事実である。

彼女との出会いがなかったら、いまなお、限られた人間による私利追求が行なわれており、堀口はその事実を知らぬまま医師という権限と温床のなかで、治療への矛盾と疑問を無視して、緩やかな流れに身を置いていたに違いない。

堀口は廃虚と化した病院の建物に手を合わせていた。姿恵美という患者への感謝と、その患者を死に至らしめたと悲観し、津軽海峡で若い命を断った松川由美の冥福を祈って……

 

姿恵美という患者は、その後、驚異的な生命力によって、幾つものガン腫を残したまま全快したかのような元気さで退院していったと、父の鬼塚が話していた。

……あのクランケは人間と思えないな。残されていたガン腫の全てが退院前にだいぶ縮小していた。何も治療を施していないのだぞ、それなのに縮小していくことは人間にはあり得ない。彼女はエイリアンじゃないのか……?

真剣な顔でいう父に、堀口は笑いを噛み締めるのに苦しんだ。

現代医学の権威者といわれる父が、患者を人間ではなくエイリアンじゃないかと疑っていることに、内臓外科の大家といわれる人にも、目前の現象だけに促われて、経過の存在を無視している現代医学の欠点そのものが焼き付けられていると思った。

千島喜久男博士が提唱した千島学説を、まだ少ししか学んでいない堀口でも、そのガン腫が縮小した経過に、逆分化の原理と、何か強い精神力が関連していたことは容易に推測できること。

だが、現代医学者は自分たちの治療以外では、病気を治すことが不可能だと思っている思い込みと、思い上がりが宿命ともいえる今の医学混迷を招いているのだと、堀口は心から新しい医学である千島学説との出会いに感謝し、この理論をより一層学んでいかなければと決意を新たにしていた。

闇のなかにたたずむ、かつての古巣に頭を下げると、堀口の車は方向を変え、まだ交通量が多い桜田通りを妻子が待つ自宅へと向かう。愛する妻の碧、息子の豪、そして娘の彩香とも、明後日に出発したら暫くは会うことができない。

明日は家族だけの壮行会を娘の彩香が趣向をこらして開いてくれる。この車とも暫くはお別れだが二年くらいは直ぐ経ってしまうだろう。愛車のハンドルを握る堀口の顔には満足そうな微笑が浮かんでいた。アウディ4000の赤いテールランプが、流れる車の列にとけ込んでいく……

 

 

逸平の家からはまた、皆の楽しそうな笑い声が聞こえてきた。

今は恵美の全身から眩しいほどの光を放射しているという、オーラの話に戻っているようだ。

恵美の力強い、ややトーンが高い声に混じって、正樹の大きな笑い声が聞こえてくる。

十年ぶりくらいに訪れた逸平と恵美、そしてその家族の幸せだった。大抵の家庭では日常的な団欒であるかもしれないが、逸平と恵美の家族にとっては待ちに待ったきょうという日である。

逸平は四日後にはサウジアラビアへ出発する。月曜日には恵美の命の恩人ともいえる東洋自動車のかつての上司、山本常務と、東京内科・小児科センターの副総長、畑中博士のところへ恵美と共にお礼に訪れる予定だ。先はどの逸平の電話に山本常務も畑中博士も、我がことのように恵美の退院を喜んでくれた。早く恵美さんの元気な顔を見せてほしい、楽しみにしているといって。

その翌々日は逸平のサウジヘの出発になる。

既に南海汽船の神戸本社からは、経過報告書や指示書と共に成田からカイロ経由ターマムまでの航空券も自宅に届いていた。

逸平は別府のセンターに入院しているときから幾度も、南海汽船の権藤専務へ恵美の状況報告とともに、サウジでの業務進行の経過を問い合わせていた。アラビア語が話せず英語と片言ともいえるアラビア語しか話せない担当者ばかりで交渉はいっこうに進展せず難航していた。急遽通訳を派遣したが、これも余り堪能ではなく細かな意見を伝えることができず、船の運行状態でいえば大岩の上に座礁し、お手上げといった状態だと、権藤専務は電話の度に専務らしくもない嘆きの声を出していた。

権藤専務は一日でも早い逸平の現地到着を望んでいる。

十一月四日水曜日、逸平がアラビアのターマムに出発することは、もう別府のセンターにいるときから恵美に伝えてある。

逸平の海外出張の出発日が決まったことに恵美は明るく元気に応えてくれた。頑張ってね、あなた……という言葉で……

逸平の帰国予定は未定という長期海外出張だったが、以前のような寂しさはまったくなかった。いまは明るく楽しい家庭がある……母親を想ってくれる博樹と正樹という可愛い子供たちがいるのだ。もちろん、今は留学中だが梨香という愛しい娘も……

恵美が待ち望んでいた温かい家庭があった。

逸平たちがいる居間からは、祖父の源吾と恵美の楽しそうな明るい笑い声が聞こえてくる。この明るく楽しい家庭は、これから何時までも続くに違いない。やっと訪れた恵美たちの幸せだ。

この明るさは何処の家庭にも見られる情景だろうが、恵美とその家族にとっては、十数年ぶりといってもよい、素晴らしい喜びと幸せに満ちた家庭だった。

恵美たちの未来を祝福するかのように、先ほどまで低く垂れ込めていた雲がきれいに払われ、銀色の眩しいような月が、明るく中空に輝いていた。

 

十一月四日午後、逸平は予定どおり東京国際空港から、マニラ、エジプトのカイロ経由で、アラビアのターナム空港へと出発した。経由地での給油時間等を含めて十六時間ほどの空の旅だ。

成田まで恵美と母の和江が逸平を見送ってくれた。母の和江は恵美が一人で帰るのは心配だといって一緒に来た。父の源吾は家で留守番だ。博樹と正樹は登校でこれない。母の恵美が別府に出発するときには学校を遅刻してまでも羽田まで見送った正樹だが、逸平の出発にはまったく無頓着だった。正樹にとって、母の恵美だけは宝物のように大事な存在なのだろう。

ターナムでの石油基地建設交渉は一ヶ月以上も経過しているのにほとんど進行していなかった。僅かひと月の間に担当者が次々と代わっていては現地人のスタッフたちは、打ち合わせすら思うようにできなかったに違いない。

逸平は到着と同時に受け取っていた報告書によって、次々と現地スタッフたちに指示を出す。逸平の流暢なアラビア語の指示によって、スタッフたちは水を得た魚のように、遅れていた業務をてきぱきと遂行していく。三週間も経たないうちに、遅れは完全に解消していた。逸平は本社から財務担当者を呼び、基地建設用地の買収にとりかかる。サウジアラビア政府との合弁会社であることから、用地買収は意外ともいえるほどスムーズに進んだ。

翌年三月までに用地買収は完了、直ちに原油貯蔵施設の建設に着手した。それから一年三ヶ月後、アラビア政府との合弁会社『南海アラビア石油』が設立され、本社は横浜市に置かれる。

逸平が中心となって交渉し、大幅に予定建設費を圧縮できた実績と逸平の功績が認められ、横浜本社の常務取締役に抜擢され、外商統括本部・本部長の重責に就任した。二年六ヶ月余り、殆ど帰国することもなく現地での業務に没頭した報奨でもあった。

その間、恵美は前にも増したはつらつさで、地域の環境改善サークルを発足させ、その代表として活躍し、二回も東京都からの知事表彰を受けた。その陰には正樹や博樹、そして梨香という子供たちの協力があったことはいうまでもない。逸平とその家族に、これから永久に続く幸福が、約束されたようである。

(完)

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