飢餓によって消化器、殊に胃腸に起きる変化として下痢、疼痛、腸内のガス膨満感、下腹部の凸出などが一般的な症候とされています。しかし、これらの症状は実際に飢餓によるものなのか、飢餓に付随した他の環境悪化や精神的不安によるものなのかを判断するとき問題が生じます。
原因の主体は後者によるものではないかと思えます。しかし、一応は従来の諸説をキースの著述によって紹介してから千島学説から観た考えを述べることにしましょう。
(a) 下痢
1877~1878年にインドを襲った大飢饉で死亡した人たちの死因は、下痢だったという記録が残されていたとポーターはいっています。第一次大戦中にも食糧不足によって多数の人々が消化器の痛みや下痢、胃腸カタルといった消化器障害を起こし、1922年のロシアにおける飢饉でも下痢が大流行したといわれています。またその後の戦争においても同様の症例が多く記録されています。下痢流行の原因として、①飢餓はタンパク質不足とビタミン欠乏をもたらす。②胃腸の抵抗力が衰退し正常なら病因とならない細菌が病原菌となってしまう。③イタリアライ菌による、等といった説がありますが、これらは直接の原因ではなく、飢饉や戦争などといった人々に恐怖や心理的動揺を与える環境下に置かれたこと、また兵士たちが塹壕生活や野宿といった最悪といえる生活環境によって、自律神経系の失調から消化器障害を起こしたこと、また不衛生な飲食物の摂取が消化器障害のさらなる悪化へ導いたのが主因だと考えられます。キースを始めどの研究者もこのことに全く触れていませんが、これを重視する必要があるのではないでしょうか。
千島喜久男は動物の飢餓実験によって消化管内の細菌や寄生虫又は共生微生物がすべて消化吸収されて胃腸の内部は空になって胃腸壁の結合組織は退行、萎縮はしているものの、内壁粘膜には炎症性の病変は起きていないことを確認しています。このことから、環境が良く、また強い精神的不安がなかったならば消化器は飢餓といえども、健康な状態を維持できた筈です。
下痢やその他の消化器障害を起こすのは不潔な水を多量に飲んだり、不衛生な生活を強いられた結果が主原因であって飢餓が原因であるとするには無理があるように思えます。
(b) 戦時飢餓による胃腸の潰瘍
戦争に伴う飢餓では、胃や腸に潰瘍が発生することが多いという報告が多数あります。第二次大戦中にフランスのモルチア、ベルギーのホーデンが調査したところでは、①戦争中においては胃腸の潰瘍が驚くべき増加を示した。②十二指腸より胃の潰瘍が多かった。③女性にも潰瘍の発生が増加した。④潰瘍は老人に多かった。⑤戦争中はタンパク質、脂肪、ビタミン、ミネラル類の欠乏が起きてそのことが潰瘍の原因の一つとなった。……と報告しています。この報告をした二人の研究者が共に『戦争中に胃腸の潰瘍が多発したのは戦争による緊張や恐怖による強いストレスが原因だ』と結論していることは注目すべきことです。千島学説の基本からいえば、飢餓は原則的に潰瘍を軽快させるものです。戦時中の潰瘍多発は上記の研究者たちが報告しているように、飢餓が原因ではなく精神的な抑圧や環境の不良が原因とみるのが妥当です。
(c) 飢餓からの回復と食事
第一次大戦中、激しい飢餓に陥った兵士やその他の人たちを病院に収容して食事を与え回復に努めた際、不適当な飢餓後患者に対する食事の与え方によって、多数の犠牲者を出したことがあります。前項で述べたように、飢餓によって消化管の壁は著しく薄くなり内腔粘膜も絨毛も殆どが退行しており、腸の口径も萎縮によって非常に細くなっています。このような状態になっているとき、急に不消化な食品を多量に与えることは腸管の破裂や閉塞を起こす危険が高く禁物です。
一般に飢餓にある人の胃腸は吸収力が衰退しているとされていますが、これは単に消化管の機能が衰弱しているというより、内面を被う粘膜や絨毛が退化しているためだということが、今においても理解されていないようです。飢餓患者の手当には日本で古来から経験的に伝えられている断食後の復食最初の『おもゆ』給食に習うのが適切です。
(d) 飢餓による肝臓の変化
飢餓による肝重量の減少は非常に顕著で、全体重の減少率よりも大きく、体重の減少は肝の萎縮を伴うことがわかります。肝細胞は飢餓によって萎縮、空胞形成、鉄色素沈着などの変化を起こすことが知られていますが鉄色素沈着は殊によく見られる現象です。また学界では肝細胞の脂肪変成が起きるか否か議論されていますが、飢餓時では脂肪が優先的に赤血球へ逆分化されますから、脂肪変成するということはまず考えられません。
ローソンは肺結核で飢餓に陥った患者の62%に肝細胞中への著明な脂肪浸潤が見られ、重い飢餓にある患者では肝細胞の脂肪変成が認められたといっています。しかしこれは多分、病的なものであるといわざるを得ません。正常な個体の飢餓では決して肝細胞が脂肪変成を起こして肝に蓄積されることは千島学説の第2原理、可逆的分化説からいってありえないことです。
(e) 飢餓による膵のランゲルハンス氏島の変化
キースは飢餓のために体重が41%減少したときに、膵臓は49%減少しランゲルハンス氏島の細胞は著しく萎縮して識別が困難になり、退行した細胞が融合して塊を形成していたが、正常な形態を残している細胞も僅かだが存在していたと報告しています。またチャクラバティもインドの飢饉による餓死者のランゲルハンス氏島細胞はその数が減り、空胞状を呈していたが血液中の糖度は高くなかったといい、他の研究者たちもこれを認めています。しかしその説明については皆が苦慮しているようです。それは血糖値を調整するとされるインスリンの分泌箇所がランゲルハンス氏島であると考えられていますが、飢餓にある人はこの細胞が退行し萎縮しているから、当然にインスリンの分泌は不可能なのに、事実は血糖値の上昇がないという理由が理解できないわけです。
この説明をメーヤーは『これは人体のグリコーゲンに対する要求が非常に強いことと、体内の蓄積糖分が殆ど消費されているために血糖値が上がるほどの糖分放出がないからだ』と尤もらしいことをいっていますが、これでは十分な説明とはいえません。
糖尿病はキースや他の多くの人たちの研究や実験によって食事や食品を制限することによって、軽快或いは回復することは明らかになっています。贅沢な過剰栄養を摂る人に糖尿病患者が多いという事実から考えるとき、低血糖症、また血糖値の上昇や糖尿病の原因をランゲルハンス氏島の内分泌異常だと結論づけることなく、全体の状況をよく観つめ、栄養過剰こそ糖尿病発症の重要な因子であることに早く気づいてほしいものです。
ランゲルハンス氏島細胞は赤血球が膵臓の分泌細胞になる直前の段階にあるものですから、飢餓のときにはまず第一に赤血球へ逆戻りします。飢餓動物の観察ではランゲルハンス氏島細胞が最初に赤血球へ逆分化するために消失し、膵腺部分もランゲルハンス氏島を経て赤血球へ逆分化します。(下記写真)
写真① (800倍 千島・万部撮影)
写真①は、28日間絶食させたトノサマガエルの膵。
膵腺細胞(b)と赤血球(a)が混在し、(b)から(a)への逆分化像を示している。
(f) 飢餓による脾臓の変化
脾臓もまた飢餓によって体重よりもさらに高い減少率を示します。ふつうは60%前後、時には80%以上の減少率を示すことも珍しくありません。しかし、マラリアや結核を合併しているようなものは純粋な飢餓によるものとは異なったものになります。
飢餓による脾の変化としてリンパ組織の萎縮、脾洞、色素の減少、鉄色素の増加、実質の減少などが知られています。エリンガーは『脾は飢餓に対して比較的抵抗力が強い』といっています。
千島とその研究グループの観察では、各種の飢餓動物の脾で最も顕著な変化は赤血球の増加と血管が完全に開放型になっており、赤血球と脾細胞が血管がない状態のなかに混在していることが確認され、脾細胞が赤血球に逆分化している移行像も確認されています。
写真② (600倍 千島・万部撮影)
写真②は、42日間絶食させたトノサマガエルの脾。
脾細胞(a)と赤血球(b)とは完全に混在しているが、毛細血管構造は見ることができない。
毛細血管の全てが開放型になっている証拠でといえる。大きなメラニン色素塊(c)があるが、これは逆分化の際には必ず現れる現象である。
この過程は両棲類に限らず哺乳動物においても共通のものである。
(g) 飢餓による肺の変化
肺は飢餓によって組織学的な変化を受けることが最も少ない器官だと一般には考えられています。しかし、栄養不良になると肺結核や肺炎といった呼吸器疾患に罹り易くなるという奇妙な半面もあるようです。また慢性飢餓にある人には肺気腫が多発することや、肺に空洞が生じることも知られています。栄養不足になると気管支や気道の粘液分泌が減少することで飢餓になると気管支炎を起こし易いというミネソタ大学の研究報告があります。また一般に栄養不良になると肺結核になり易いと考えられていますが、一概にそうともいいきれないと思います。肺結核というものは栄養不良よりも蓄積した疲労、ストレス、偏った食生活、運動不足、環境不良などといったすべての慢性病に共通した用件が絡みあった結果だと考えるべきではないでしょうか。
(a) 飢餓による脳組織の変化
脳の重量は飢餓になっても比較的少ししか減少しません。時には急性飢餓の場合には増加した例もあるとメーヤーはいっています。しかし、脳の組織学的な変化ははっきり起きてきます。脳細胞相互の間隔は広がり細胞中にはしばしば空胞が生じます。脳の重量が余り減らないのは組織が水分で置き換えられるためだろうとキースは推測しています。
千島喜久男はニワトリとシロネズミの飢餓実験において脳脊髄の組織中に多数のリンパ球状の赤血球母細胞が集積したり、メラニン色素が出現することを確認しています。これは脳脊髄の組織細胞が赤血球への逆分化を始めている証拠です。
写真③ (600倍 千島喜久男撮影)
10日間絶食させたカエルの大脳。
至る所にリンパ球状をした赤血球母細胞の集塊(b)がある。これは本来、血管内の赤血球から分化して生じた神経細胞が、絶食によって赤血球(a)へ逆分化する移行段階である。
写真④ (600倍 千島・鵜飼撮影)
7日間絶食させたシロネズミの小脳。
左方に多数の小型細胞(a)が出現し、パーキンス氏細胞(b)の内部にも幾つかのリンパ球状の細胞核原基が現れている。
写真⑤ (600倍 千島喜久男撮影)
35日間絶食させたカエルの脳の一部。
脳細胞(a)から赤芽球(b)を経て赤血球(c)への逆分化過程。脳細胞、赤芽球、赤血球が混在している。
飢餓による脳細胞の変成として一般に空胞形成と核の溶解が見られるとされていますが、他の組織にもよく見られる空胞はリボイド性の物質で、これは新しい細胞を形成する前段階にあって、核の溶解は実際に核が退化する場合と、リンパ球状の核が神経節細胞の内部や基質中に新生する場合との両方に進行するものだろうと千島喜久男はいっています。
(b) 飢餓と脳下垂体の変化
飢餓と脳下垂体との関係についての研究は大変少ないのですが、ジャクソンは餓死したネズミの下垂体はその重量が25%減少していたと報告しています。総合的に見ると脳下垂体も副腎と同様に萎縮退行し、部分によっては血液に置き換えられていたとメーヤーはいっていますが、これは千島学説の第2原理、いわゆる組織の可逆的分化による組織から赤血球へ逆戻りしている現象です。
(c) 飢餓による神経系と感覚・精神の変化
■感覚の変化……一般に飢えると感覚や行動が鈍くなると考えられ勝ちですが、キースは実験によって『飢えは感覚を鋭敏にし、視力や聴力は減退しない』と報告しています。同様に圧覚、味覚、臭覚も殆ど変化がないことから、飢えた人の行動の変化は神経系の変化に起因するものではないといっています。しかし、このキースの判断は構造上の変化を識別できなかっただけではないでしょうか。また末梢神経の圧覚は正常時より敏感になります。これは神経周辺の軟組織が減少したためだとキースは説明していますが、神経自身の感受性増加の問題も考える必要があると思えます。事実たる現象では膝蓋反射や筋肉運動は飢餓によって鈍くなります。
■意欲の消極性……千島喜久男は青年時代に行った断食体験について次のようにいっています。
『頭脳は明晰になるが、気分は非常に消極的になり野心的、冒険的な精神は減退する。それは恰も肉食動物の心から草食動物の心への転換に似ている。感覚は鋭敏になるが活動的精神は衰退する。
これは明らかに心身一如の法則の現れであり、肉体的な生理活動が衰退すれば、気力もまた衰えることを如実に示すものである』
(a) 骨の重量の変化
骨の重さは体重や他の器官、組織に比べて飢餓による減少率は小さいと一般に考えられています。たしかに、飢餓による骨組織の変化は他の組織より小さいかも知れませんが、骨組織自体も飢餓によって赤血球に逆分化しています。そのためカルシウムも減少して骨は有孔性になりますが、全重量が減少しないのは、有孔となった孔の部分を有機物や血液が満たしているからです。
(b) 骨髄の変化
慢性病で痩せて死亡した人たちの骨髄は黄色骨髄脂肪が減少し、脂肪がゼラチン状の物質に変成していることを多くの研究者が認めています。また赤血球造血の代わりにその破壊が見られたというリックリンの報告、60日間絶食した人の骨髄では赤血球造血は全く行われておらず、ただ一部にのみリンパ球や赤血球が存在する領域が見られたというメーヤーの報告、これとは逆に赤血球造血が盛んに行われていたというモリソンとか、動物の飢餓実験で赤色骨髄の増加を認めたというジャクソンなど種々雑多な報告がされています。これらの報告に対してキースは統一的な仮説を樹てるだけでも不完全な資料ばかりだといっています。
この骨髄での脂肪や骨髄系細胞と赤血球との関係は、栄養の良否によって可逆的変化が生じるという千島学説の第2原理によって容易に説明できます。飢餓などの栄養不良時には黄色骨髄脂肪や骨髄の諸細胞は他の組織と同様に赤血球へ逆分化しますが、飢餓がさらに続くと骨髄内は遂にゼラチン状の物質に変成します。前述した様々な報告はこのような逆分化の一段階を見ているだけで、全過程を総合的に観察していないために起きた混乱だといえます。
(c) 歯の変化
スティングの研究では第二次大戦中、栄養不足にも拘わらず一般に虫歯の増加はなかったから、飢餓と歯との関連は薄いと結論づけています。デハームは大戦中の1942~1945年の間にパリの児童で虫歯がないのは、それぞれ13%、26%、38%と増加して1945年には半数に近い45%の児童に虫歯が減少していたといいます。またキャレルは日本で捕虜になっていたヨーロッパ兵士が釈放されたとき、歯は驚くほど良い状態を保っていたといいます。
研究者たちは戦争による虫歯の減少や,捕虜の歯が意外に良い状態だったことについて、まったく説明していませんが戦時中には、虫歯も一般の病気も著しく減少したということは日本でも確認されています。
これは戦時中ということで菓子や蔗糖摂取の減少が第一の原因であり、過食になることがなかったことも病気の発生を抑止した大きな原因といえるでしょう。
(d) 皮膚と毛の変化
■組織学的変化……飢餓に陥ると毛嚢がケラチン(爪の成分である硬性タンパク質)状物質で満たされ毛嚢ケラチン化症を起こし、毛を引き抜くと皮膚に小さな孔が残ります。第二次大戦中、ベルギーの子供たちが栄養不良のため78%が毛嚢ケラチン症になったといいます。同様の現象はオランダのロッテルダムでも起きたそうです。ただ、日本にいたヨーロッパ人捕虜にはそれが認められなかったとキースはいっています。
■皮膚の着色……ジェレミーの悲嘆には『我々の皮膚は恐ろしい飢餓のために鍋底のように黒くなった』といっているように、飢餓状態が長く続くと皮膚に病的な褐色色素の沈着が起きます。特に口や目の周り歯茎などに著明に現れますが、キースの報告では、時に手や腕、胴にも及ぶこともあるようです。1847年にアイルランドで起きた飢饉では人々の皮膚が汚い褐色に変わったといいます。
このように飢餓で皮膚に色素が沈着する理由について誰も説明していません。これは千島学説でしか説明できないことです。栄養不良によって固定組織細胞から赤血球に逆戻りするとき、必ずメラニン顆粒が逆分化する組織内に現れ、このメラニンが有核赤血球の核や無核赤血球の原形質形成に参与したあと、色を失い赤血球に吸収されます。逆分化過程におけるメラニン発生が皮膚の色を変える原因ですが、千島学説を理解できない限りこの事実を知ることはできません。
慢性的に栄養が不足した人は、年令のわりに老けて見え、行動や気分までも老人くさくなると一般にいわれています。しかしこのような外観や性質の変化にも拘わらず、体の組織の硬化や石灰質沈着などといった老化現象特異の兆候は余り認められないものです。
生物学的にも或る種の動物では飢餓や慢性的栄養不良は却って恵まれた環境で生活するものよりも長生きをするというデータもあります。これについてキースは、老人医学の上で大きな問題だが、その長生きに至る理由が理解出来ないといっています。
飢餓や栄養不足は発育中の幼児や少年の成長に障害を与えることは明確ですが、それ以上の年令層にある人たちには飢餓の程度にもよりますが、ほどほどの飢餓なら体の組織を逆分化させることができ、体組織を一新させ、胃腸に休息を与え、体内の老廃物をすっかり清掃する大掃除ができることである程度の若返りが起きることは事実です。この現象は下等動物でも人間を含めた高等動物でも程度の差はあっても原則として共通しています。わたしたちが食糧不足による飢餓ではなく、意識的に食を断つ断食は専門家の指導のもとで実践すれば、健康長寿に大いに役立つと思います。
(a) 飢餓と人肉喰い(カンニバリズム)
人が人を喰うという奇習は今日の私たちには想像するだけでも忌まわしいことですが、歴史的には飢饉や戦争のときには意外に多く行われており、近代においても原始民族の間では見られることだといわれています。人肉喰いの事実は記録にも幾つか残されていますが、実際は比較的稀な現象だとソローキンはいっています。
人々は飢饉のときに家畜や愛玩動物は勿論のこと、草や木の葉、茎や根を食べたり、虫や泥さえ食べましたが、人肉を喰うということは余程苦しい場合に限られていました。ただ、戦争のときは負けた敵の死体や捕虜を殺してその肉を喰ったという記録はかなりあります。1316年のスコットランド戦争のとき、8人のスコットランド人が喰われたとアルフォードは報告しています。またマルノウスキーは第二次大戦中、ニュー・ブランデンブルグのキャンプでロシア人やポーランド人の捕虜はよく仲間の人肉を食べていたといいますが、一方、インドや中国では飢饉の回数が非常に多いにも拘わらず人肉喰いの記録は殆どありません。これは秘密裡に行われたのか、或いは宗教的な影響で行われなかったのか不明だが、多分後者の理由によるものだろうとキースはいっています。
1921~1922年のロシアの飢饉では人肉喰いが盛んに行われたという風説があり、フランクによるとこのとき至る所で人肉喰いがあり、人を殺してその肉を喰ったという例が26件も調べあげられているといいます。そのうち7件はソーセージにして人の目を欺き市場で販売していました。
事実を知り、慌てた市側は肉製品の販売を禁止し徹底的に押収した肉製品をすべて焼却しました。また同時に各地の共同墓地には警備員を置いて新しい墓が発掘されるのを防止する仕事に追われたということです。幸いにして日本には現在、世界の飢饉国ほど悲惨な飢餓は見られないとはいえ、これから予想される世界的な食糧不足が起きたとき、日本でも深刻な飢餓地獄に見舞われることは否定できないことなのです。世界が共に協力しあってその飢饉防止に努めたいものです。
(b) 飢餓の対策
世界に共通した飢餓の原因となるものに、戦争、飢饉、略奪農業、無秩序な森林伐採、旱魃、洪水や寒冷害、農業技術の未発達、食糧分配や輸入の不適正等々が直接、間接的な要素と一般に考えられていますが、日本でもこの幾つかに該当するものがある筈です。特に戦争による飢餓は私たちが身をもって体験したことであり最も忌むことです。日本の農業技術は幼稚とは逆に、近代化が度を過ごし化学肥料が蔓延し、農薬の濫用によって有毒食品を生産することが普通の農業だ……などと、もしそんなことになったとき、現代の私たちは食糧はありながら、食べることが出来ない飢餓に見舞われるかもしれません。これは私たちが最も警戒を必要とするように思えます。
飢餓という問題は農業の技術だけではなく。政治、経済、世界平和と最も深い関連があります。
飢えは人間の本質的な欲求が満たされない状態です。世界から飢餓と貧困をなくすために、私たちは人類愛を基調とした科学、政治、経済の実現とその発展を心から願わずにいられません。
その具体策は理想論というご意見があるかと思いますが次のようになるのではないでしょうか。
① 戦争のない世界にし、世界は一家、相通じる世界にする。
② 生産に関わらない戦争や軍備に費やす予算を貧困に苦しむ国々の救済資金にあてる。
③ 食物の種類や食べ方について、従来の栄養学から脱皮した、新しい栄養学の分野を開拓する。
④ 食糧の増産についての正しい科学的研究を速やかに開始する。特に山や川、海、太陽、地熱といった大自然の恵みやエネルギーを有効に利用する研究を優先する。
⑤ 飢餓について医学、生物学の誤らない研究を進める。