明確なものだけを探究し、漠然とした不明瞭なものは無視する傾向にあるのが、現代の自然科学者たちです。形式論理の特徴である排中律の姿勢によるものです。赤血球の観察をしているとき、時間の経過と血流の停止とともに、赤血球が集合し溶け合った状態になることは誰でも見ることができます。この白血球への中間移行像(定形的な赤血球でもなく白血球でもない状態)を自然科学者たちは故意に無視してきたとしか考えられません。その状態の説明を求められたときの回答が思いつかないためだと私は推測しています。あるいはそこまで考慮せず、単なる焦点外にある老排物と考え無視したのかもしれません。いずれにしても学者諸氏は重大な見落としをしたものです。
さて、赤血球は中くぼみの円盤型であるとされていますが、これは採血直後の状態のことです。湿潤標本にして数日の時間をかけて検索すると、時間の経過とともに円盤型から球型に変わり、直径は円盤型のときの半分ほどになり、小リンパ球に移行する過程を見ることができます。殊にカエルのもののような大型の赤血球を長時間にわたって湿潤標本で観察すると、赤血球の径よりも長い原形質突起を出し静かな運動を始めます。これは赤血球が細胞質を放出して白血球を形成する、AFD現象とは別の新生過程です。
写真1…カエルの生きた赤血球の培養中での変形(位相差顕微鏡写真)
上方にひょうたん状に細胞質が突出し、その先端は活発に震せん運動を呈している。その先端部で毛細管の壁を通して血管外に出るものもある。これはカバーグラスに被われているので、カバーグラスの下面へ細胞質を放出して顆粒白血球に変わり、回転運動をするようになる。
写真2…生きた赤血球の行動(カエル)
赤血球は一端から細胞質を放出してカバーグラスの下面で白血球化している。
血管壁をも通過する。(位相差)
写真3…明るい赤血球から暗い細胞質を放出している。(位相差)
写真4…同上(以上いずれも位相差顕微鏡写真)
写真5…ニワトリの骨髄塗抹標本
2個連続している細胞はあるが、細胞分裂によるものではないことはその構造が違うことからも解る。細胞質放出によるものである。
写真6…培養中に赤血球が変形し、核が新生したもの。(位相差顕微鏡)
写真7…同上。(位相差顕微鏡)
写真8…赤血球が培養中に変形したもの。(位相差顕微鏡)
写真9…カエル赤血球の細胞質放出による白血球形式(位相差顕微鏡)
A → 赤血球 B → 白血球
写真の上方は2個の赤血球が共同で、写真の中央下方では数個の赤血球の共同放出によって白血球を形成中。(千島原図)
既成学説では赤血球の寿命は115日前後としています。人体にある血液を5リットル程度として計算すると、血液の40cc(それに含まれる赤血球数は約2000億個)が体の何処かに1日で消失していることになります。
この2000億個もの赤血球が体の何処へ消えていくのか、現代医学・生物学では確認されておらず謎のまま放置されているといってもよいでしょう。学者の一部は肝臓又は脾臓で崩壊しているといっていますが確証はありません。肝臓や脾臓に限らず、体のあらゆる組織で赤血球の崩壊に似た現象を見ることができます。しかし赤血球が崩壊したと見られる所で、それが消滅していく証拠をつかんだ学者は誰一人としていません。
この赤血球が崩壊しているかのように見える像は、千島がいう「AFD現象」によって融合体のなかに、除々に核(DNA)を新たに合成し、組織の誘導によってリンパ球や白血球を経てそれぞれの組織細胞に分化している漠然とした中間移行像を、赤血球の崩壊であると見誤ったものに違いありません。これも、部分を見て全体を観ない短絡的なものの観方をした結果といえます。
※顕微鏡写真15~17をご参照ください。
胎生6ケ月以後、脳や肝臓、筋肉等の細胞が細胞分裂によって増殖するすることを実証した人間は世界で誰一人としていません。脳や肝臓や筋肉は成人になると胎児に比して著しく大きくなり、当然に細胞数も増えています。この事実は現代の医学・生物学では説明しようがありません。
しかし『千島学説』の赤血球・AFD現象による分化という理論をもってすれば、容易に説明できることです。細胞分裂像といわれる像は絶対にないわけではありません。稀に生体内で見られることは否定できません。しかしこれは細胞の老化によって死が訪れる直前に現れるものであり、これを正常な細胞増殖とすることは妥当でありません。どちらかというと細胞分裂像というより細胞融合像と見たほうが正しいかと考えます。
写真10
イエウサギの胚子で軟骨性頸椎の軟骨細胞が赤血球から形成される移行像型を示す。(千島原図)
無核赤血球(Er)が数個融合したもの(Fer)が軟骨細胞の元基となる。
左上方にある軟骨細胞の幼若型軟骨嚢(Cer)中には2個の赤血球が含まれている。
Mmc・・・赤血球の分化によって生じた間葉細胞。
Ber・・・やや塩基好性になった赤血球。
Chc・・・軟骨細胞核。
写真11
イエウサギ胎児の東部軟骨細胞が赤血球から移行している像を示す。(千島原図)
a・・・赤血球塊
b・・・移行型
c・・・軟骨細胞
このような理由で、体細胞の増加は生後、赤血球からAFD現象によって行われると観るべきであり、細胞分裂によるという無謀ともいえる既成学説は今すぐにでも是正されなければなりません。
“ガン細胞は猛烈な勢いで細胞分裂を繰り返しガン腫が増大する”という定説が広く信じられています。しかし私も千島の没後、幾度となく自然状態に極力近い状態で人のガン組織を観察しました。強力な光線下では稀に細胞分裂をすることは確認しましたが、十猛烈というようなものではありませんでした。極力自然の状態に近づけて観察した結果では、いつまで観察をつづけてもガン細胞は分裂像を示すことはありませんでした。
世界中の医師、学者が何十回となく正常状態でのガン細胞分裂像を確認、記録すべく挑戦していますが、私同様に確認できた人間はひとりもいません。
ガン細胞は、主に酸欠状態の組織内で血流が停止、あるいは淀んだ状態になったとき、赤血球のAFD現象によってガン細胞が新生し、体内環境が悪化しているときにはガン巣を形成する段階にまで至ります。この場合、ガン巣の周囲を多量の赤血球がとり囲み、ガン細胞に移行している状態を見ることができます。
次の写真は人の子宮ガン組織を材料として、ガン細胞が赤血球の分化によって新生することを示すものです。(写真12~17)
写真12…赤血球(A)が移行型(C)を経て血球モネラ(B)へ変化する過程を示す。(850倍)
写真13…血球モネラ中に細胞形成前の液胞または空胞(A)を生じ、その内部に細胞核(B)が新生し、それは更にリンパ球状(C)または間葉細胞(D)を経て若いガン細胞(E)へ移行像を示している。(850倍)
写真14…写真13とほぼ等しい分化の段階を示す。大型多核巨大ガン細胞(A)は静脈洞内の血球モネラから細胞核を同時に多核新生したものであり、決して核分裂によったものではない。(850倍)
写真15…比較的若いガン巣(A)は、静脈洞(D)または血管(C)に含まれている血球が血管壁と共にガン巣元基(B)を経て形成されたものである。
写真16…写真15より更に分化した2個のガン巣(A)を示す。(300倍)
写真17…ガン巣(A)は静脈洞(B)及び血管(C)と連続している。血管と血球の分化によってガン巣が形成されることは明らかである。(300倍)
ガン細胞は外部から侵入するもの、或いは突然変異などというものではなく、我が身の赤血球が体内環境によって不良化したものといえます。またガン細胞、ガン巣は体内環境が改善されると速やかに赤血球へ逆戻りします。手術や抗ガン剤治療などをしなくても、体内環境を改善するだけで、進行状態の如何によっては短期間に治癒させることができます。ガンの諸問題については、対策を含めて後述します。
1975年1月4日付の読売新聞第1面に『ガン細胞が正常に戻った』という見出しで、3つのガン研究グループ(癌研究会癌研究所・菅野晴夫所長ら3名、京大ウイルス研究所・市川康夫助教授、国立がんセンター・穂積本男共通実験室長)計5名の学者のことが報道されました。彼らは各々独自にガン細胞を特定の薬品処理などをして、正常な細胞(赤血球、白血球)に戻すことに成功し、この5名の学者はその功績によって、高松宮妃癌研究基金学術賞を受賞することになった、という主旨のものでした。
親切な知人からこの新聞を見せられ千島は急ぎそれを見ましたが、まったく千島学説のことに触れていません。「ガン細胞は赤血球からでき、また赤血球に戻る」という発言は既に千島が発表している第1原理【赤血球分化説】、第2原理【組織・細胞の可逆的分化説】にそっくり当ではまることですから、千島は早速それらに関する英文論文のほか、種々の資料と手紙を3つの研究グループに対し書留郵便で送りました。手紙には・・・
『あなた方は私が既に発表しているガン細胞は赤血球からという説、また栄養状態、健康度によってはガン細胞から赤血球に逆戻りするという説をあなた方は知っておられましたか? あなた方が発表された論文があればその写しを頂きたい。あなた方が既成学説に対抗してこのような新説を発表した勇気には感服致します。しかし、私の説をまったく知らない筈はないと思うのですが、その点はどうなのですか? また、このような説は現代医学界から容易に容認されることはないと思います。何故なら、私の提唱する8大原理のすべてを理解しない以上、赤血球の分化や逆分化のことなど理解できる筈がないからです・・・』
といったことを千島は記して送ったのでしたが、誰からも一言の返事も頂けませんでした。
この学者たちの態度は、失礼といいましょうか科学者の態度とは思えない全くもって言語同断と言わざるを得ません。その後千島は再度私信をしたため回答を促しましたが、それについても“梨のつぶて”でした。その後幾度か菅野勝夫氏はテレビ番組でガン細胞の起源について話していましたが『千島学説』については一言も口にしなかったそうです。
<<< 目次に戻る >>> 次