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革新の生命医学情報 No.5

第1原理「赤血球分化説」③

炎症の主役は赤血球

 ほとんどの病気は炎症を伴います。ガンも最初は炎症をもって始まります。
 炎症は次の五大特性を伴います。

 炎症は体の一部、或いは数ケ所に対し物理・化学的・細菌・微生物・精神的負担などの刺激が長期にわたって集中すると、その刺激に応じて生体の防衛反応として赤血球がそこに集中します。その部分は紅色を呈し、腫れ、熱をもち、痛くなり、その部分の生理的機能が著しく阻害されることになります。病理学的に炎症組織を調べれば血液の集中していることがよく分かります。このことは既成学説でも分かっていることですが、炎症の部分における赤血球、白血球、膿球などの由来や働きは『千島学説』と大きく違っています。炎症部での主投は白血球ではなく赤血球なのです。
 従来の病理学では、炎症部に白血球が集中し食菌作用、酵素作用等の働きで防御体制をとり、細菌との闘争で負けた白血球と細菌の死骸が膿になると考えられています。
 しかし、どの炎症部においても、血管外に流出した赤血球が無数あり、それが比較的速やかに中性嗜好性白血球に分化し、続いて各種炎症組織の細胞に分化し、組織或いは臓器の容積を大きくさせる一連の動きが見られます。


赤血球 → AFD現象 → 炎症部細胞への中間移行像

創傷の治癒も赤血球が主役

 創傷面を補修する肉芽組織や結合組織、表皮細胞等がどのように増殖するかについて、詳しく的確な説は今もって出されていません。細胞移動、細胞分裂をもって説明しようとしていますが、その説得は極めて薄弱です。創傷部における白血球の集中や食菌作用も説かれていますが、白血球の存在は確かですが食菌作用については大きな疑問があります。殊に重要なことは、創傷面に出てきた多量の赤血球についてはどの書物にも記載されず、その役割についても触れていません。創傷によって付近の血管が損傷を受け、そのために出血するのだと簡単に考えているようです。
 千島はオタマジャクシ尾部に外傷を与えて出血させ観察したことがあります。それによると血管外に出て外気に触れた赤血球は間もなく崩壊し、内容を放出していわゆる血小板様体になり血液凝固を起こし出血を止めました。
 この現象は赤血球が血液凝固の機能に重要な役割を演じている証拠といえます。千島はこの観察結果を血液学会において当時報告しています。
 既成学説では血液凝固は血液中の血小板の作用によるとしていますが、これも重大な誤りといえます。見た目は血小板の作用の如く思えても、実際は赤血球の溶解段階を見て短絡的な判断をくだしたものです。マウスの肝臓に切創を与え、創傷治癒の過程を観察したこともあります。外傷を受けた直後は創面に多量の出血が起き、付近は血液と赤血球で充満しますが、血液の液状成分は除々に吸収され、赤血球(一部は白血球)はそのまま残留し、次第にリンパ球や線維芽細胞を経て結合組織に変わり、7~10日で創口は完全に治癒し、その部分には多数の新生した血管を見ることができます。


顕微鏡写真27を参照ください。


 このような創傷治癒に赤血球の分化が主役を演じていることは確かなことですが、既成学説ではこの赤血球の機能を完全に見落としています。実に重大な誤りを犯しているといわざるを得ません。


人や哺乳類の無核赤血球がどうしで細胞なのか

 ここで少し赤血球というものの原点に戻ってみましょう。
 血液学関係書では赤血球を“Erythrocyte”(赤色細胞)、或いは“Red Blood Cell”(赤色血液細胞)などと呼ばれ、明確な定義もないまま無核赤血球はなぜか細胞とみなされています。
 生物学の基本は生物を構成する「細胞」から始まっています。細胞の定義は数々あるものの、細胞の構造上において不可欠な要素として「核(DNAを含む)と細胞質、そして細胞膜を有する」こととされています。しかしどうでしょう。人や哺乳類の赤血球はご承知のとおり無核です。ですから『無核の赤血球は生物学の定義上細胞ではない』と断定されるのが当然です。
 また「細胞は分裂によって増殖する」という生命科学の既成学説が、学界において金科玉条として今もなお信奉されつづけています。そして不思議なことに自然の状態下において細胞が分裂増殖をする像を確認できた人は世界に一人としていません。
 細胞としての要件をもたない人や哺乳類の無核赤血球が“細胞”として、また細胞は分裂像を通常示さないのに“細胞分裂説”が、全世界にまかりとおっている現実は奇異としかいえません。細胞核をもたない赤血球を「最高度に分化、そして老化により核を失った細胞だ」というのは苦しまぎれの屁理屈にほかなりません。「老化した細胞は核を失う」などという細胞の特質は有り得ないことです。
 赤血球に関する既成学説はその出発点から間違った方向に進んでしまったのです。


赤血球は血管外には出ないという定説は事実に反すること

 「白血球は毛細血管壁を通過して血管外に遊出するが、赤血球は血管外には出ない」というのが血液学上の定説になっています。こういう誤った定説が広く信じられていることも医学混迷の一因になっています。そして千島学説の第1原理『赤血球分化説』が関係学者たちに理解されない大きな原因ともなっているようです。赤血球はいつまでも赤血球であり、白血球や体細胞とはまったく関係がない存在だという固定観念が血液学者の考えから抜けきらないかぎり、様々な事実と矛盾したこじつけの解釈をつけ、つじつまの合わない説を平気で唱えて、その矛盾を意識的に覆い隠そうとしているとしか考えられません。


顕微鏡写真3をご参照ください。


 毛細血管の先端部はすべて開放型になっていることに何故気づかないのでしょうか。気づいていても「今さらそんなことがいえるか」と頬被りしているのかもしれません。もしそうだとしたら、それは神聖な生命現象への“冒涜”という大問題です。
 既成学説は血管外にある赤血球を病的な例外だと結論づけています。この説が正当ならすべての体組織は病的なものとなってしまいますが、そのことについてはまったく触れようとしません。理解に苦しむばかりです。


血液型は終生不変ではなく変わる可能性もある

 既成学説は「血液型は終生不変である」と定義づけています。親と子の血液型の遺伝はメンデルの法則に従って一定のパターン以外の遺伝形態はないとされ、この形態を根拠に裁判上で親子関係の鑑定にも利用されています。
 現在も血液型は0、A、B、ABの4型が通常型、これにRh(+)とRh(-)が特殊型として大別されています。またこの他にもS式血液型も採用され、結局人の血液型は36種類に分けられています。これらの基本とした発生組み合わせ種類は30万種以上が考えられ、より詳細な分類をすると1000万種以上になるといわれています。これほど膨大な血液型があるのでは、真実適合する血液型を探すことは至難のわざといわざるを得ません。
 血液のタンパク組成率、そして赤血球に組込まれた各個別の特性因子は指紋と同様に千差万別であることを学者たちは忘れています。血液が千差万別であるという事実から、大別した血液型が適合しても、内容が違うことから輸血を受けた患者には当然に程度の差はあれ拒絶反応は必ず現れるはずです。さらに『赤血球は食物を原基として腸の絨毛で造られる』という第5原理『腸造血説』から考えますと、体内環境の変化に伴って血液型が変わるということも十分にありえることです。血液型は不変と考えることは不自然なことかもしれません。
 大分県の外科医、黒瀬敬輔氏は軍医時代の経験から「血液型は生涯において不変だとはいえない。変わることがある」と主張しています。血液型は生涯において不変だと考え、安易に輸血を続けていますと、血液内容の不適合から思わぬ悲劇が生まれることも否定できないのが現状です。


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